イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

してはならぬこと

2013年08月06日 | イコン
イコン教室の人が
柳井原教会のイコノスタスに貼ってある石版画の印刷物を描くというので
写真を撮りにきていました。
みんなでのお祈りの後、その人が撮影することになりました。

イコン画家は「至聖所にあがっていいわよ。
神父がいないんだから」と言いました。
神父は信徒館に行き、いませんでした。
イコン教室の人は信徒ではありません。
私は小さな声で「絶対にあがってはダメよ。
してはいけないと言われてるから」と彼女に言いました。
彼女は常識ある人でしたから、
もちろん、至聖所にはあがりませんでした。

私は「至聖所にあがってもいい」と言いきる人が
自分で、イコン画家だと世の中に言っていることに驚きました。
画家は「自分は神父の娘で、伝統を継承するイコン画家である」と新聞にも記事が出ており、
新聞記者たちも画家の言うことを信じて記事にしていたからです。

柳井原教会のイコノスタスの前で
「神父がいないんだから、あがって撮影したらいいわよ」という画家の言葉を聞いたとき、
「この人からイコンは学べないな」と思いました。

私は会津の八重さんたちと同様、
「ならぬことはならぬ」と聞いて育てられましたし、
学生時代に勉強していた仏画の先生たちから
「仏教の決まりを守る中での仏画家や仏師だ。
画家はよけいな口を出してはならない」と言われ、
仏画家だった祖母も「仏画家は絵のことだけしていればいい」と言われていました。
私は画家は聖職者でなく、一般のひとりの人間の仕事であり
特別な仕事でもない、と考えています。

「このイコン画家は、どうも自分が聖職者と同じ立場であると、
自分は特別な存在であると勘違いしているようだ」と思いました。

「私はイコンを描いているんだから、私を助けなさい。
そうしたら、いいことあるわよ」は口癖でしたし、
イコンの研究者がニコライ堂で講演をしたときも
「この私を差し置いてニコライ堂で講演したのよ」と言いましたので
日本正教会の認めたすごいイコン画家なんだと思っていました。

けれども、イコノスタスの前で、
女はあがってはならぬと言われている至聖所に
神父がいないんだからあがっていいと自分で判断するのですから、
イコン画家と言っているけど、それは全く違うなと思いました。
正教会での決まりは、
女は至聖所にはあがってはいけないとなっているからです。
母にこのことを話すと
「いつか聖所にも、神父がいないんだから入っていいわよ、と言いだすよ」と言いました。

小さなことかもしれないけれど、
してはならないと言われていることを簡単に破る人は信用なりません。
母はこれらを柳井原教会の執事長に手紙を書きました。
娘を学ばせる画家ではないと書いたそうです。
私は「あなたからはイコンを学べない。
あなたからでなくても、イコンは学べる」と手紙を書きました。

私はそれからイコン画家からは離れましたが、
画家のこのような姿勢が続くのであれば、
イコン教室でも何か問題が必ず起こるだろうと考えていましたら
金銭の問題が起こりました。

私が喫茶を手伝った展示でも、
画家が勝手に菓子やコーヒーを自分の客に出していましたが、
「支払いの金額はいくらだかわからない」と言います。
これは、おかしいと思って請求はしませんでした。
認知症のような記憶の欠如があるかもしれないので
病気の可能性もあるだろうと、画家の家族にも知らせました。
毎日新聞社や山陽新聞社にも起こった事実を知らせました。
金銭問題が起こるカルチャー教室などおかしいし、
「ニコライ堂に正確なことを聞いてから取材して欲しい」と頼みました。

私は「この画家は、こういう姿勢でイコンを描いている画家なんだから、
それでいいんだ」と思うようにしました。
こういうやり方の画家である訳です。
でも、私はこの画家のやり方にはとてもついてはいけませんでした。
もし、病気ならなおさらです。
「してはならない」と言われていることを破ってまで
イコンを描くことはないと思っています。

家庭で空いた時間に、ちょっとずつ描くイコンでも、
誰かのお役に立つイコンになるかもしれない。
それで充分だと思います。

画家はただの画家ですから。
決して特別な人間ではない。
それを見失うと「頭のおかしい人」になるだけです。
私は「頭のおかしい人」になりたくありません。
絵の好きな普通のおばさん、、、おばあちゃん予備軍でいたいと思います。











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