人をして 玉座の尻と せし者は 湯女の踵に くちづけをせよ
*「湯女(ゆな)」とは、江戸時代に風呂屋で客の背中を流す仕事をしていた女性のことです。まあいろいろと想像できるでしょうが、隠微な響きがありますね。売春に発展したことももちろんありました。まあここでは、そういう春をひさぐ女性としての意味で使っています。
性を売る仕事に身を落とした、あるいは落とさざるを得なかった女性は昔からたくさんいました。「夜鷹(よたか)」というは、江戸時代にござなどをもって夜に歩き回り、男の袖を引いていた女性のことを言います。前に取り上げた「辻君(つじぎみ)」というのも、そういうものです。「太夫(たゆう)」というのは、官許の遊郭で最も位の高い遊女のことです。「傾城(けいせい)」もそれ。「白拍子(しらびょうし)」とは男装をして舞う女性のことだが、もちろん男性の性の相手をする仕事もしていました。飯盛女(めしもりおんな)は、宿場にいた私娼のことです。女郎、遊女、娼妓と、いろいろな言葉がある。「お茶ひき」とは、客がなくて暇でいる遊女のことだ。婬姒(いんじ)という言葉もある。
第3館の言霊ノートに、遊女戸々(ゆうじょとと、あるいはここ)の歌を紹介していたことがありましたね。確かこういうものでした。
数ならぬ 身にも心の ありがほに ひとりも月を ながめつるかな 戸々
こんな賤しい仕事をしているわたしのような身でも、心を持っているかのような顔をして、一人で月を眺めたことです。
戸々は藤原仲実という貴族の相手をしたことで名が残りました。これは相手をした男に捨てられたことに対する恨みを詠った歌らしいが、悲しいですね。自分を人の数にも入れられないような賤しい身だと言っている。痛々しい。あなたはわたしのことを、心を持っていないようなものだと思っているのでしょう。だが、あなたのためにわたしがしたことは、心がなければできないことではないのか。
女性にこういう仕打ちをしたことは、男に必ず返っていきます。
人間というものを、自分が偉そうにふんぞり返って座る玉座の尻に敷く台のように扱ったものは、ひざまずいて遊女のかかとに接吻をしなさい。
足と言わずに踵(かかと)と言ったのが、強い。かかとに接吻をするということは、振り向いてももらえないということだ。自分を低くしても、相手にもしてもらえない女のために、下僕よりも低く激しく賤しい身分となって仕えよという意味なのです。
男はそれくらいのことを女性にさせてきたのですから、当然、そういうことはせねばなりません。
玉秘むる 貝を廓の 井に落とす 猿は婬姒の 尻を拝まむ 夢詩香