天つ日の 知らぬものなき 人の世に 斧を隠して 黒む蟷螂
*月が続くので、太陽の歌も詠ってくれないかと言いましたら、こういうのが来ました。「天つ日(あまつひ)」は太陽のことですね。月にはかなり別称があるが、日にはあまりありません。アマテラスは太陽神だが、あまり太陽の代名詞には使われていないようだ。
あまりにも輝かしく、それ以外に語るものはないほど大きくて強いものだからでしょう。月のように様々に姿を変えてきてはくれない。まごうことなく輝き続ける自己存在の完全な象徴として、あまねくこの世界に照り渡っている。別称があまり見つからないのは、あれと変わるものなど作ってはいけないからなのです。
太陽の神の知らぬものなどないこの人間世界であるというのに、自分の斧を隠して、黒ずんでしまった蟷螂というものがいる。
「蟷螂」は「かまきり」と読んでも「とうろう」と読んでもかまいませんが、「とうろう」の方がいいかもしれませんね。「ろう」が「郎」に通じれば、男という意味をなんとなく引き寄せることができる。「斧(おの)」はもちろん「己(おの)」にかけてあります。
自分を隠して他人の顔をかぶり、全然違うものになりすましてしまったがために、変に黒ずんでしまった人間というのは、実にたくさんいます。馬鹿なことをすると、自分の肌が黒くなってくるのです。馬鹿はそれをごまかすために、霊的技術で霊体に白いものを塗ってごまかしたりもします。本当ですよ。そういう人は一応白いには白いが、何か嫌らしい白さをしています。
嘘というものは苦しいものなのです。自然な自分の真実の姿を曲げてしまいますから、どうしても何らかの歪みが表に出てくる。その歪みが見えればどうしても嘘はばれる。本当の姿を知られたくない馬鹿は、そういう歪みをごまかすために、色んな技術を複雑に進化させ、人間を改造し続けている。そしてとんでもないものになってしまう。
天つ日の目には、そんな馬鹿どもの真実の姿が明らかに見えているのだが、馬鹿はそんなことなど考えたくもないのだ。
黒ずむというが、それはもちろん、黒人の肌のような黒さではありませんよ。生来肌が黒い人は、神がそれが美しいように作ってくださっている。それは自然だから美しいのです。馬鹿が嫌なことをして黒ずんでしまった肌というのは、実に汚い感じがします。触れたら、何かいやなものが指についてきそうな感じがする。そこにその人がいるだけで、黒いものが空気に溶けてこっちに来るような気がして、人がみな逃げていく。そういう黒さなのです。
馬鹿なことばかりしていると、どうしても人間が逃げていくようなものになってしまうのです。そういう自分の姿に、もうそろそろ気が付くべきだ。馬鹿なことをして自分から逃げても、逃げられるものではない。自分が自分である限り、影よりもしつこくそれはついてくる。
天つ日のように、自分の真ん中で光りなさい。すべてを認めて、自分の真ん中に自分を座らせ、自分の持っている理性の光で自分のすべてを照らすのです。そうすれば、自分の本当の姿が、実に美しいものだとわかるでしょう。
黒雲が晴れるように自分の顔から黒ずみがとれ、明るくなってくるでしょう。
本当の自分というものは、天つ日のように陰りがないものなのです。