いはやどに ささらえをとこ しのびきて ぎんのあめゆを 夢につぎけり
*今日のもかわいらしいですね。厳しいのばかりが続きますから、少しはきれいなのも詠みたくなるのでしょう。
「ささらえをとこ(ささらえ壮士)」は月の別称です。「ささら」というのは普通「細ら」で、細いとか小さいの意を添える接頭語だが、これは違うらしい。美しいという意味をつけるものらしいです。「えをとこ」は愛すべき男性という意味です。日本神話では、月神は男性なので、それと関連があるものでしょう。月読は美しくも愛さずにはいられないほどの、よい男らしいです。
月読(つくよみ)という名には美しい響きがあり、大層立派な神のようだが、神話ではあまり活躍していませんね。ウケモチとのエピソードが日本書紀にあるくらいです。
ある時ツクヨミはアマテラスに言いつけられてウケモチのところを訪ねた。ウケモチはいろいろな食べ物を口から吐き出してツクヨミをもてなそうとしたが、ツクヨミは汚いものを食べさせようとしたと言って真っ赤になって怒り、ウケモチを切り殺してしまった。するとウケモチの頭からは牛と馬が、額からは栗が、眉の上からは蚕が、目からは稗が、腹からは稲が、ホトからは麦と大豆と小豆が出てきた。アマテラスはツクヨミの所業には怒ったが、これらのものを喜んで天に持ち帰り、人間が生きていくための食べ物だとした。
これとほとんど同じ話が古事記にもあるが、そちらではスサノヲがやったことになっており、ウケモチもオホゲツヒメになっています。オホゲツヒメは大気都比売で、「ゲ」や「ケ」は食べ物という意味らしいが、なんとなく「ゲツ」というのが「月」にかかるのが気になりますね。
男が太陽のように社会の中心にいた女を殺し、月のように暗いものに落として、いいものを全部取ったという意に解釈できないこともありません。古事記ではスサノヲがしたことになっていますから、もしかしたらオホゲツヒメはアマテラスであったのかもしれない。
遠い昔、縄文から弥生に移行する頃には、女性の権威を奪って自分がのし上がり、皆を支配しようとした男はたくさんいたことでしょう。馬鹿はそういうことをするものだ。
神話にはそういう、人間模様が隠れているのです。
それはともかくとして、後の世の月読のイメージは大層麗しい男性です。月を見てあわれを感じ、心を描いた歌をいくつも作ってきた人間の雅風も影響している。大層美しい貴公子のイメージが浮かびます。「ささらえをとこ」というのは、そういう男性を想像してできたものでしょう。
月の岩戸に、麗しい月の神が忍んできて、銀の光の飴湯を、あのひとの夢に注いでくれる。飴湯は滋養をくれる暖かい飲み物だ。それを白い月の光で作ってくれる男とは、それはやさしく美しい男でしょう。獅子のように荒々しい男もいるが、世界にはそういう優しい男もいますよ。
それはうれしいことを、かわいい女性のために、進んでしてくれます。