ねぬなはの 苦しき月の 小寝言を 香魚の音に溶き 侏儒に聞かさむ
*「銀の香炉」のようなきれいなのが欲しいと言ったら、こういうのを詠んでくれました。「香魚の音(あゆのね)」というのは、「うぐひの声」にならったものらしい。
「ねぬなはの(根蓴菜の)」は枕詞です。「ぬなは(蓴)」はジュンサイの古名で、茎が長く伸びていることから、「長き」とか「繰る」とか、言葉を掛けて「苦し」とか「寝ぬな」にかかります。
「小寝言」は「さねごと」と読みましょう。「さ」は強調と語調を整えるための接頭語です。とくに意味はありませんが、「小」という漢字を添えることで、ささやかなとか小さいとかいう意味が、なんとなくかぶさりますね。「侏儒(しゅじゅ)」は小人という意味です。ものごとのわかっていない馬鹿な人という意味もあります。
苦しそうな月の寝言を、香魚の声に溶かし、何もわからない馬鹿な者に聞かせよう。
もちろん、香魚が声を発するはずなどありませんから、これは絶対に聞かせはしないという意味です。
あの人が夢を見ながら小さな寝言の中に言っていることは、何もわからないものには教えはしない。知りたいと思うなら、もう少し深いことがわかる人間になってくるがいい。
こういう意は、もっと厳しい歌い方もできるものなのだが、香魚の音に溶くなどという美しい表現を使って言うのは、なかなかにすばらしい。阿呆に言い聞かせるために強く言い放つのもいいが、たまにはこういうふうに、ていねいに言葉を選び、表現を練って美しく詠むのもいいですね。
あまり腹にずんと来ないが、耳に染みてくる。昨日の歌と読み比べてみると、違いがわかるでしょう。ですが驚くことに、詠んでくれたのは同じ人です。なんとなくわかるでしょう。
自分もやればできると言いたかったのでしょうか。
わたしもやってみたくなりました。
ねぬなはの 苦しき馬鹿の 言ひ訳を 鷽の音に溶き 世にぞ聞かさむ 夢詩香
本歌取りを気取ってみました。「鷽(うそ)」はもちろん、「噓」にひっかけてあります。こっちのほうが、詠んでくれた人の性格に近いのではないかという歌です。
苦しい馬鹿どもの言い訳を、ウソという鳥の鳴き声に溶かして、世間の人に聞かせてやろう。どんな反応があるものか。
まあこれからはこのように、どんどん嘘が世間にばれてきて、馬鹿は大層つらい思いをするだろうと、そういう意味です。