開かぬ戸を かきて消さむと する馬鹿は されどされどと くりかへすのみ
*どんなにがんばっても開きはしない戸を、かき消そうとばかりに開けようとする馬鹿は、どんなにそれはだめだと言い聞かせても、だけどだけどと言って、同じことを繰り返すだけなのだ。
まあ、歌の意はそんな感じです。馬鹿というものはこういうものだ。思い込んでいる理屈が間違いだとわかると、すべてが瓦解してしまうものだから、それは違うと何度言っても、でもねでもねと言って、また同じことを繰り返す。
というところで、今日は、繰り返しということについて言ってみましょうか。
歌の中で、同じ言葉を繰り返すということの効果です。単純に同じ言葉を重ねるだけなのですが、そのリズムがおもしろく、児戯のようではあるが、それゆえにこそ痛い意味が生じる。簡単なようでいて、難しい。表題の句は「されどされど」というところに繰り返しがありますが、同じ言葉を二つ続けると、リズムが生じ、軽い滑稽味が出る。繰り返しということがテーマの歌ですから、なかなかの効果を生みました。冗漫にならない程度に、小気味よくやるのがよろしいでしょう。
ほかにも繰り返しの効果を持った歌を探してみましょう。
着重ねて 着重ねてなほ 着重ねて 隠せるものと おもふ君とは
これは、「玻璃の卵」に収められていた試練の天使の作です。彼らしいですね。これとほとんど同じ意の作品が、かのじょの「恋のゆくへ」にあります。比べてみましょう。
戸を閉めて 鍵をかけなほ ふたつかけ 見えぬとおもふ ガラスの心
こちらにも「かけ」が繰り返されている。要するに繰り返すことで、人間が嘘を着重ねているという事実を面白く表現しているのです。つまりは、見え見えなのに、見えてないと思って、一生懸命に嘘を塗り重ねて自分の心を隠そうとしている人間の姿というものが、いかに滑稽かということを、言葉を繰り返すことによって表現しているわけです。
繰り返しというのは、滑稽味を産みます。馬鹿なことや滑稽なことを人がやっていたりするとき、それを詠みこむときに使うと、かなりの効果を生みます。また、自分が滑稽と知りつつも、子供のような感動で詠うなどにも、繰り返しがきつい感じで効きますね。もう一つおもしろいのをあげましょう。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 明恵
これなどは一度読んだだけでは、何を言っているのかわからない風があるが、二度三度と読んでいけば、明恵上人の心がわかってくる。月を見た時に、心が晴れ渡るような何かの真実を感じて、明らけく心の世界が広がったときの、子供のような感動を歌ったものでしょう。
ああ、明るい、明るい明るい、明るい明るい、明るい、月は明るい。
これ以上の感動はないという歌ですね。涙が出そうだ。だが、簡単だと思って真似をしてはいけませんよ。こういうのは、一度だけしか利かない技です。誰もまねできません。
まあ、適度に使いましょう。今日はあともう一つ。
勉強も せずに大人の 服を着て 恋や恋やと 追ふ馬鹿者よ 夢詩香