はしきやし 月よ来よとて しろかねの 餅を見すれど かへる声なく
*昨日のもそうですが、今日のも大火の歌です。大火も口語調のおもしろい歌しか詠めないのではないのですよ、一応。ちゃんと格調高い歌も詠えるのです。ただし、彼がこんなのを詠むと、どこからか、らしくない、という声が聞こえてはきますがね。
「はしきやし(愛しきやし)」は、上代語で、「ああ、いとしい」というほどの意味ですね。「はしきよし」とか「はしけやし」とも言います。「見す」はもちろん「見せる」という意味だ。
ああ愛しい、月よ来なさいと言って、銀の餅などを見せるけれど、返ってくる声さえもない。
まあ意味はわかるでしょう。この直接的でわかりやすいのが彼の歌の特徴だ。口語でも文語でもそれはあまり変わりません。
影からかのじょを見ていたものは、いろいろな策を弄してかのじょを振り向かせようとしたが、かのじょは気付きもしなかった。
銀の餅などといいますが、要するにあの人は、嘘の匂いのするものには興味がなかったのです。それは本物の銀かもしれないが、持っている人が嘘ならば、それも噓になるからです。
われわれにもいろいろなものがいますがね、かのじょほど、嘘に対する拒否反応が強い人はいません。それは、真実というあだ名がつくほどですから、きついのです。見ると目が拒否してしまう。だから気配を感じただけで、逃げてしまう。それ以上のことが起こる。自分の世界に、嘘が入って来なくなるのです。わかりますか。
いろいろなよいことをしてきて、高くなってくると、その人を苦しめないように、その人の霊界が動いてしまうのです。ですから、虚偽が嫌いだという人には、虚偽が近づいていけなくなるのです。ゆえにその人は、虚偽が近くにいることにすら気付かず、自然にそこからいつの間にか離れていく。馬鹿な人が、かのじょのゆく道を調べて、虚偽の罠をしかけていたとしても、いつの間にか逸れられている。
どうしても近寄っていけないのです。
愛の世界は、そういうことをするのです。
人間はまだ若い。こういう愛の世界の秘密について、知り始めたばかりです。もっと深い真実がたくさんある。真実というものは、それは美しく、みごとに整っている。たまらないほどよいものですよ。あれを見れば、虚偽がどんなに愚かなものかわかる。
あなたがたも、感覚が開いて、虚偽の本当の姿がどんなに醜いものかを、知ったでしょう。嘘がきつければきついほど、恐ろしくきれいに装う。本物の金銀や宝石を使ってさえ、それは本物っぽく磨き上げ、美しくする。
もう二度と見たくないと思うほど、嫌になったでしょう。