たまさかに うれひの露は 落ちつるも 花の水とも して越えゆかむ
*これはわたしの作です。
「たまさかに」は「思いがけなく」とか「時たま」とかいう意味だ。「落ちつる」の「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形ですね。係り結びの省略形ではなく、接続助詞「も」につくので連体形になるのですが、こういうのはなぜか日本人は自然にやっています。
「うれひの露」とはもちろん涙ということだ。
思いがけなく涙が落ちてしまったのも、花にやる水のようにして、この悲しみを越えていこう。
かのじょが生きていたとき、こういうことはしばしばありました。
花は自分の心を分かってくれるとはいえ、人はほとんど自分のことなどわかってはくれなかった。見栄えから判断されて、かのじょのことはみんないやだと思っていた。悪い人ではないということが、余計に嫌がられていた。
そういう人間の心理はわかっていましたが、深くは考えないようにしていた。人間の嫉妬の暗闇の奥でうごめいている感情の渦など見たくはなかった。ただ、それらの人間の感情をすべて、無理解、という枠でくくって処理していた。それでないと苦しすぎたからです。
だれも自分の本当の心はわかってくれない。それでも、わたしはやらねばならないのだ。そう思うと、時に涙が頬を流れる時もある。
だが、そういう感情の溺れてはいけないのも知っている。さっきのは悲しみの涙ではない。花にあげようと思っていた水なのだ。だから平気だ。今日も越えていこう。
ムジカはそういうかのじょが好きだ。どうしても心が暗い方向に沈んでいかない。いつも、跳ね返るように明るい方に浮かんでいく。
花びらの船が浮かばざるを得ないように、神に登っていく。
愛を感じるのはこんなときですね。そういうかのじょの女性的な心が、わたしとは全く違うものですから。
どうにかしてあげたい。あの美しい心を、最もいい形で、ただしく世に伝えてあげたい。