うつそみの 人にきらはれ 果てし身の 行く末に見る 乱声の闇
*「うつそみの」は「人」にかかる枕詞ですね、枕詞は便利だ。できるだけたくさん覚えておきましょう。
「乱声」は「らんじょう」、旧仮名遣いでは、「らんじゃう」と書きます。古語辞典を調べれば、鉦(かね)や太鼓を激しく打ち鳴らして、鬨の声をあげること、とあります。
人間に嫌われ果てたものの、行く末に見える、人々が激しく鉦太鼓を打ち鳴らし、鬨の声をあげている、その闇が。
苦しいイメージだ。要するに、あまりにひどいことをしたので、すべての人間が、馬鹿なことをした人間どもに、激しく怒っているということなのです。そしてあらゆることをするために、勝鬨をあげて大軍をなしてやってくる。
もうそういうことになっているということですよ。
馬鹿なことをした者は、人間全部に嫌われたということが、どういうことになるかとうことを、これから存分に思い知ることでしょう。
もうあんなものは見るのもいやだ、触れるのも嫌だと、そう思われるだけで、だれも寄って来てくれなくなるのですよ。何もしてくれなくなるのです。それだけで、人間は大変なことになる。わかるでしょう。
食事を作ってもくれない。服を洗ってもくれない。お金を持っていても、いやだと言って断られる。何にもしてくれない。もののみごとに、すべての愛に嫌われたのです。
ここから出ていけと言われる。おまえなどもう二度といやだと。
人の心をそこまで追い詰めるまで、いやなことをしすぎたのです。みんなをだましてきた。愛の顔をして、すべてを自分のために利用してきた。美しい姿をして、今にも立派なことをするぞと言いながら、ほとんど何もいいことはしてこなかった。そして人の情愛だけはかすめとってきた。
今にきっといいことをしてやるから、おれのためにいいことをしろと言って、すべてやらせてきた。ありがたがりもせずに。
その結果、もっともひどいことをして、謝りもせず、責任をとろうともせずに、逃げた。催促をしても、何もやろうとしない。
ここまでくれば、神にすら嫌われるのです。
愛は限りなく深く、永遠にも等しい年月を、待ってくださるが、無限ではないのです。
人間は、その限界の壁を超えるようなことをすることも、できるのだ。だが、やってしまえば、おしまいだ。
それでどんな反動をかぶろうとも、嫌なものは嫌だと思われたら、おしまいなのです。
これからの時代、人間は、すべての愛に嫌われた人間というものが、どういう運命をたどっていくか、つぶさに見ていくことでしょう。
それも人類の学びです。