たかぶりの ましらの群れは さわぎつつ 文句ばかりで なにひとつせず
*これはきついですね。大火の歌のようだが、そうではありません。ほかのものの歌です。きつさが微妙に違う。
大火のほかにも、わたしたちの中にはきついものはたくさんいますよ。だがそれぞれに味が違う。なんとなくわかると思います。
傲慢な猿の群れは、さわぎにさわいで、文句を言うばかりで、何一つしようとしない。
微妙に現代語に流れているのが、実感をともなって詠じているようでおもしろいですね。悲嘆が伝わってきます。
猿は猿らしく、山で木の実でも食べて生きていればいいのだが、時たま高い人間並みの暮らしがしたくて、人間に化けてくる時がある。そして人間並みのいい暮らしを味わっていると、鼻持ちならない馬鹿になる。
何にも努力しないで、いい暮らしを味わっていると、何にもしないほうがいいと思い込むのです。痛いことは、人にやらせればいい。人を馬鹿にして、なんでもやらせればいい。そういうことにしてしまう。
それで、馬鹿な要求を人に押し付けて、嫌なことばかりするようになる。だが、そんなことばかりしていると、必ず反動が来ますから、そうなると非常につらいことになる。でも馬鹿な猿には何にもできませんから、つらいつらいと文句を言うばかり、結局何をすることもなく、逃げていく。
まあそういうことは、見てきて知っているでしょう。
傲慢な猿ほど痛いものはない。猿が人間に化けるために、あらゆるものを盗んでいる。高いことをしたことのある人間の、よい姿を盗み、徳分を盗む。それでいい国に生まれ、いい家に住み、いい暮らしをしているが、ほとんど何もしない。毎日の仕事でやっていることも、ほとんどは自分ではやっていない。裏で結託している馬鹿の霊にやってもらっているのです。
人にやらせるばかりで何にもしていないから、心がまだほとんどできていないのです。嫌なことになると逃げるのは、ほとんど動物的反射ですね。
こんないい国に生まれて、人並み以上のいい家に住んでいたりしたら、世間のために必ず何かをせねばならないのですよ。そういうものだからです。
そんなことを一つもしないで、安楽に暮らしていけるわけがない。必ずどこかでつまずく。そしてそれが自分のせいだとも気付かず、国の年金制度を恨んだりするのです。