細月の たよるすべさへ なき空に ひとりかかりて ゑまひのかたち
*美しい作品ですね。月が細い時、夕暮れの空に低くかかっている時など、その形が微笑みに見える時がある。それを詠ったものです。
かのじょもよくそういう細い月を見て思っていたものだ。まるで空が自分に笑いかけてくれているようだと。
ひとり自分だけで生きているようなものだが、その自分を、常に誰かが見ていてくれるような気がすると。
人を救うために、様々な努力をしていたが、そんなことを理解してくれる人などどこにもいない。すべては孤独に自分だけでやるしかなかった。そんなことは当たり前なのです。なぜなら自分にはそれくらいのことはできるからです。
天使というものは、この人間世界に生まれてきても、なんとなく自分というものがわかっています。自分は、高いことができるものだと。だからあらゆる努力をしてやっていく。
だがそれを人間が理解してくれることは、ほとんどない。そういうものだ。
故に心はいつも空に飛ぶ。神に響いていく。人間は誰もわかってくれなくとも、神は分かってくださるのだと。
あなたがたもそろそろ、人間存在を助けるために、あらゆる存在がどんな努力をしてくれているのかを、理解せねばなりません。
進化していくということは、ひとつひとつ段階を上がり、新たなことを知っていくということだ。自分だけでそこまでになれたと思っていたら大間違いです。
人間が無事に段階を上がれるように、あらゆるものが導いていてくれた。なんでもやってくれていた。愛は常にあなたがたとともにいた。
愛とともに生きていくか、それにいやだと言うかは、あなたがた自身の選択です。自己存在というものには、選択の自由がある。神もそれは邪魔しない。だがその選択によって、次の時代の永遠が決まる。
人間と、人間ではないものの、二つの道に、あなたがたはこれから分かれていくのです。
最後の天使は、その二つの分かれ道の道標でした。それをいいというか否というかで、あなたがたは分けられるのです。