あすかがは おぼるる人に 藁もなく 早瀬に消ゆる まぼろしの船
*「あすかがは(飛鳥川)」は歌枕でよく使われます。大和国の川のことです。今もあるかどうかはさだかではないのですが、洪水のたびに流れが変わることから、世の中のうつろいやすさのたとえなどによく用いられました。
そのうつろいやすい飛鳥川の中で、人が溺れているが、その人にはつかむ藁もない。早い流れの中にもてあそばれる幻の船ごと、消えていく。
これは芸能界などで生きている人のことを詠ったものです。幻の船とは芸能界全体を表します。また芸能界でなくても、同じような幻の世界を表わします。
実のない見栄えだけの価値観を頼っている、嘘ばかりの世界のことです。そういう世界を今、恐ろしい流れが巻き込んでいる。
人類の進化という流れです。もうとっくにわかっているでしょう。人類の霊魂が成長し、感性が目覚め、目つきから人の心を読めるようになったのです。問わずとも、写真などに写ったその人の目を見るだけで、その人の考えていることがわかるようになった。
不思議なことと思うでしょう。だが、霊魂というのはすばらしいものなのです。見えない世界にいる本当の自分自身というものには、神が創ってくださったすばらしいものがある。それが成長してくるたび、自己存在は不思議な進化をとげていく。どんどんすばらしいものになっていくのです。
人類はその霊魂のすばらしさの一端を、かいまみたのです。
だが、もう感性が成長し、嘘を見抜くことが簡単にできるようになったら、元の世界に戻ることはできない。嘘ばかりの人間が考えていることが、どんなに汚いかということがわかったら、いかに見栄えがすばらしくとも、とても愛することなどできない。
ですから、芸能界やスポーツ界などという、派手な見栄えだけが頼りの世界から、人間が一斉に退き始めているのです。
このままではたまらないことになるというのに、そこにすんでいる人たちはその船を降りることができない。ほとんど、嘘で人をだますようなことしかしたことがないからです。
ですからもう、その進化の流れに溺れている人は、もう藁をつかむことすらできず、幻のように消えていくしかないのです。