むらきもの 心のかほの すき見えて きよきけはひの くづるるをみな
*「むらきもの(村肝の)」は「こころ」にかかる枕詞ですね。「けはひ」は化粧のことです。
心の顔が透いて見えて、表向きはきれいにきよらかに見せている化粧が、崩れる女がいる。
きついですね。たしかに馬鹿な女というのは、表面をきれいにする技術にはたけています。それはそれは、天使の美貌を研究して、化粧やファッションを若干おとなしめにして、髪型も上手に真似して、天使のイメージを盗む。
表面だけは完璧に天使を装うことができるのです。
ですが、目つきや表情というのはごまかしがきかない。心がそのままそこから見えてくる。天使のようなきれいな顔をしておいて、心が、あたしだけきれいでいれればいい。ほかの女はブスでいい、なんてことを考えていると、そんな心が透き見えて、とても醜く見える。
人間の心というのは、目と、口元によく出ますよ。
やさしさというものを何も勉強しなくて、わがままなことばかり考えている女性は、何か棒で人をつくような目つきをしています。人の心を受けるという勉強ができていないため、人に自分を押し付けるようないやな目つきをしているのです。
それと、いやなことを考えていたりすると、笑った時の口元が微妙にゆがみます。心の修業ができていない人は、口元がゆがむのです。それだけで、人から盗んで作ったきれいなお顔が全然違うものになるのです。
まあこんな感じでね、心というのはごまかしがききません。どんなにきれいに化粧しても、表情が崩れれば、全然きれいに見えない。
かのじょは表情が美しかったでしょう。それは心が整っていたからなのです。天使は存在として高い修業をしているので、内部がきれいに整っている。だからあのような表情ができるのですが。
馬鹿な女はそれだけはとてもまねできない。心の奥まで盗むことはできない。
だから天使の顔をして、心はドブスだという、妖怪のようなものになるのです。