ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

けはひする人

2019-09-04 04:54:58 | 短歌





白百合の ごときをとめと なりたきと 人を盗みて けはひする人





*「けはひ」は化粧のことです。

白百合のように汚れない乙女となりたいと、人のものを盗んで化粧をする人。

言いたいことはわかりますね。白百合のように汚れない乙女となりたいならば、白百合のように清らかに生きなければならないのに、見栄えだけを人から盗んで、それになりすまそうとする人がいる。

そんなことをするだけで、自分が汚れて、白百合などというものからかけ離れていくというのに、馬鹿な女はやめられない。

見栄えだけでもそれに似せることができれば、中身もそうなると思い込んでいるかのようだ。

実際馬鹿な女性というものは、化粧やおしゃれで自分も変えられると思い込んでいるようなふしがある。ですがそれは幻。化粧や服をどんなに凝っても、それで自分を変えることはできません。

髪型や服の雰囲気を、天使に似せて、とてもいい女になれたつもりで笑っている女の、なんと見苦しいことか。目からそういう甘いことを考えている馬鹿を見抜かれているというのに、平気で人に嘘の自分を見せつけている。

見ている方が恥ずかしい。

人まねのずるで自分をきれいにしていることが、恥ずかしくないのは、何も勉強ができていないからです。人につかえて、思いやりを勉強したことなどない。ただただ、ずるで自分をきれいにして、人に自分に奉仕させようとしてきた、それくらいのことしかしたことがないのです。

そういう女性は女性ではない。女性以前の馬鹿です。

女性というものは、女性らしい思いやりというのを勉強できていなければ、女性ではないのです。





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心の鏡

2019-09-03 04:47:46 | 短歌





われを捨て 人を盗みて くはしめと なりしをみなの 心の鏡





*ツイッターやほかのところで繰り返し言っているように、偽物の美人というのは、他人から顔やそのほかのものを盗んで、自分をきれいにしているのです。

霊界から見たら、馬鹿みたいなのですよ。自分の霊体にいらぬものをたくさんくっつけて、まるでフランケンシュタインのようにして、自分を改造しているのです。

いろいろな例がありますがね、だいたいは、人から盗んできた美人の顔を、自分の霊体の顔に貼り付けてあるのです。そうすれば肉体の顔は美人になるのです。

昔から、馬鹿な女はこんなことばかりしてきたのです。自分の顔は、自分の心そのままの形をしていますから、嫌だったのです。人の真似ばかりして、自分のことは何もやらないという自分の本当の心の姿がそのまま出ていて、馬鹿みたいな顔になっているからです。

美人になるために、本当の自分の顔を捨て、他人から盗んできた顔ばかり生きてきた。美人であれば男が寄ってきて、いいことをしてくれると、自分を得させようとばかりしてきたのです。そのためには、人のことなどどうでもよかった。顔を盗まれた人がどんな苦しい人生を送っていようが、どうでもよかったのです。

そういう、やさしさのかけらもない貧しい心が、鏡を見ると全部見えている。もう人間にも心が見えるようになってきましたから、偽物の美人の心の正体が、だれにでも見えるようになったのです。

自分自身にすらもね。それがあまりに美しくないので、偽物の美人も痛い。自分が美しくないのがつらい。鏡を見るたびに、心と顔が違うのがわかるのが、きつい。

もう自分の感覚をごまかせないところまできているのに、馬鹿女はまだ偽物の美人顔にこだわるのです。これが本当の自分の顔になってくれないかとさえ、思っているようだ。

だがそれは本当の顔ではない。人から盗んでくっつけてあるだけの、いやらしい仮面なのです。どんなにきれいに化粧しても、美しくない。本当の自分の顔が、空気のようにもれてくる。

嘘ほど醜いものはない。それをきれいにすればするほど、妖怪のように気持ち悪くなる。

もうそろそろ、やめましょう。





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とこしへの栄え

2019-09-01 04:40:22 | 短歌





われならぬ われとなりては とこしへの 栄えが欲しきと 闇に食はれぬ





*一応毎日詠んでいますが、なかなかいいものができませんね。これなどもあまりよくない。言いたいことはわかるが、どうもまとまりがよくない。スランプから抜け出すのはまだまだのようだ。それでも、毎日のためしは続けていきましょう。こういう努力が、のちの自分を豊かにするのだと考え、試練にも耐えていかねばなりません。

「栄え」は「はえ」、見栄えの華やかさとか、名誉とかいう意味のことばです。

自分ではない自分になって、永遠の名誉が欲しいと言って、闇に食われてしまった。

この時代、人間は盛大にうそをついて、自分とは全然違う自分を作り、それを無理やり生きてきました。

顔や肉体を人から盗んで、人生も人から盗んで、まったく違う自分になり、都合のいい人生を生きようとしてきたのです。

見栄えのいい人生が欲しかった。何にもつらいことのない、ずっといいことばかりが続く人生が欲しかった。美形になって、人に愛してもらって、なんでもやってもらえる人生が欲しかった。

わかっているでしょうが、愚かなことですね。いいことばかりの人生になど人生の意味がない。人生は霊魂の学びのためにあるのですから、時に神が与える試練にも耐えていかねばならない。そんな神の愛を無視してまで、馬鹿な人は人生を勝手に改造している。

しかしそういう人は、本当の自分を痛く剋していますから、その見栄えのいい人生を生きれば生きるほど、本当の自分がいやなことになっていく。どんどん人間とはかけ離れたものになっていくのです。

そして闇に落ちる。もう永遠に人間には戻れないところまで、行ってしまうのです。

そんなことになってはもうおしまいなのです。たとえ本当の自分がどんなに小さくても、それを正直に生きることのほうが、人間にはずっと幸せなのです。





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