1945年8月9日11時02分、長崎市松山町9番地上空500m。米軍戦略爆撃機の落としたプルトニューム爆弾「ファットマン」・・・爆発。
平和祈念像は広島の原爆ドームのような原爆被災そのものではありません。ひとりの彫刻家のメッセージです。モニュメント、偶像です。
原爆投下の10年後に長崎市民の悲願で3000万円の浄財を集めて建立されました。
原爆のことを世界に発信するシンボルになってもらいたい。
・・・・・・黙祷・・・・・・
長崎市松山町9番地・・・通常爆心地公園と呼ばれますが、正しくは平和祈念像のある広場も含めて長崎市平和公園。
ここは原爆落下中心地・祈りのゾーンといいます。
平和祈念像地区・願いのゾーン
長崎県出身の彫刻家北村西望が5年の歳月をかけて製作した「平和祈念像」。
東京都武蔵野市井之頭公園内の北村西望彫刻館にある平和祈念像の原型。
西望は1951年30㎝の試作品を作り、1953~1955年、ここにアトリエを作って平和祈念像を完成させた。
ここは原爆落下中心地・祈りのゾーンといいます。
平和祈念像地区・願いのゾーン
長崎県出身の彫刻家北村西望が5年の歳月をかけて製作した「平和祈念像」。
※撮影は2006年4月。
※2006年4月、長崎にてスケッチした平和祈念像。
東京都武蔵野市井之頭公園内の北村西望彫刻館にある平和祈念像の原型。
西望は1951年30㎝の試作品を作り、1953~1955年、ここにアトリエを作って平和祈念像を完成させた。
※2009年9月井の頭公園の北村西望彫刻館を訪れる(写真はパンフレットから)。
平和祈念像は広島の原爆ドームのような原爆被災そのものではありません。ひとりの彫刻家のメッセージです。モニュメント、偶像です。
原爆投下の10年後に長崎市民の悲願で3000万円の浄財を集めて建立されました。
原爆のことを世界に発信するシンボルになってもらいたい。
パソコンの部屋は2階なので、日中はいられません。
終日エアコンの中で過ごしました。
あの黒焦げの少年の身元が分かったとか。姉妹が写真を持って参加していましたね。ずっとずっと平和の発信をし続けて行くことでしょう。
無差別攻撃・・・いまも世界のどこかでやっている。それが一番効率のいい攻撃手段であるから。
71年前にあれほど戦争の無残さを思い知らされた人がいる日本で、今それは忘れられかけている。