比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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野州・・・茂木町・・・古い町並みの残る街

2012-11-08 | 道をゆく 関東
11月3日、栃木県茂木町をぶらぶらしました。
茂木町・・・人口約15000人、県の最東端、茨城県と境を接する町。市街地の東側を那珂川水系の逆川が流れています。
駅から出てすぐが1本道の国道123号線・・・宇都宮と水戸をつなぐ茂木街道。

市街地の北端の城山公園。中世から戦国時代にはここに城が築かれていました。

城山公園から見た市街地、中央の123号線の見える範囲が市街地です。盆地ですね。

近世から明治の時代に作られたと思われる出桁の見える古いお店が残る町並です。町全体がギャラリーみたい。
左上は創業300年以上前といわれる島崎泉冶商店・・・酒蔵です→ホームページ

知らない町では何かお買い物・・・私のくせです。
饅頭とか煎餅とかの文字が見えたので、島崎泉冶商店でお饅頭を買いました。あとからネットで調べるとここは酒蔵。
なぜか明治14年創業の菓子舗「源太楼」→ホームページ・・・まっいいかっ・・・?・・・「源太饅頭」も「ゆべし」も美味しかった

下調べもせずに知らない町に入る。とってもいい町でした。なぜか子どものころ父に手を引かれて歩いたような町です。
次に行ったときは島崎泉商店のギャラリーも見たいし銘酒も買いたいし、西岡屋糀店で塩麹の原料も買いたい。

芳賀郡茂木町・・・「ハガ」は「剥ぐ」・・・地形がところどころ剥れた・・・崩壊した・・・そういうところ・・・茂木は木が繁茂した・・・かな。
芳賀郡茂木郷・・・鎌倉時代常陸の守護職八木某が源頼朝に武勲を認められ領地を賜り三男某に地頭職を務めさせ茂木城を構え茂木姓を名乗らせ統治したそうだ。戦国時代、茂木氏は水戸佐竹氏の配下に入り、佐竹氏の秋田転封とともに重臣として秋田へ、そのごは細川忠興の弟が1万石で入封、城は廃城にして市中に陣屋を構えたという。そのご細川氏は16700石に加増されて常陸国谷田部に陣屋を構えたが、茂木陣屋もそのまま残し使ったのでむかしの町屋の町並が残ったのであろう。宿屋が多いのも茂木街道のほぼ真ん中で商業の中継地、生産物の集散地であったからと思われる。

さて、SLの撮り鉄をしてから帰ろう。


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