埼玉県立こども動物自然公園の中・・・
・・・散歩しているうちにふと立ち寄った「ビアトリクス・ポターの家」・・・
全世界に1億5000万部出版された絵本「ピーター・ラビット」のお母さん「ビアトリクス・ポター」。
今日はその「ポター」のお話をしょうと思います。
ビアトリクス・ポター(1866~1943年)英国ロンドンの上流階級の生まれ。とうじの英国の上流階級(有産階級)とは祖先の遺産の不労所得で働かなくて生活してる階級のようです。英国は格差社会、階級社会ですが、今はどうであるかよく知りません。上流階級の子女は家庭教師から教育を受けるのが常でした(女子の学校がなかった?)。ビアトリクスもまた家庭教師から教育を受けますがたいへん頭がよく化石や菌類や地衣類の研究では論文を書くほどだったそうです。
上流階級ですから夏は英国中部の湖水地方に避暑に出かけ野山や畑、小動物、昆虫などと親しみました。この出会いがピーター・ラビットの創作の原点になり後年の自然保護への強い思いを培ったのでしょうか。
ピーター・ラビットの誕生です。
かつての家庭教師アニーとは文通をつづけていましたが1893年アニーの5歳になる息子ノエルに絵手紙を送ります。そのときの絵がピーター・ラビットの誕生のきっかけになります。
こどもに夢を与える絵本を、そう考えた彼女はいくつかの出版社に原画を持ち込みますがどこも請けてくれません(とうじの女性の社会的地位が原因かも知れません)。1901年私家版(自費出版)で250部印刷(1色刷)、これが評判を呼び第2刷を250部、これも成功。原本は葉書大・・・こどもの手のひらを考えたらしい。1色刷りだったのは廉価版にしたかった?
1902年ウォーン社が多色刷りで第2版を引き請けてくれることになります。これが「ピーター・ラビットのおはなし(マクレガーさんの庭)」の初版です。
映画ではウォーン社の出版の話から始まります。そのときの担当者がウォーン社のノーマン・ウォーン・・・のちに求婚されます。この求婚は両親の反対があり(商売人の倅というのが反対の理由でよくわかりません?)強行に婚約しますが結婚を前にノーマンが急死。部屋に閉じこもり絵を描き続ける彼女がやがて決断したのが湖水地方ソーリー村のヒルトップ農場の購入でした。ビアトリクス39歳のときです。
1905年購入のヒルトップの家、購入資金は絵本の印税から。
いつの時代にも美しい自然景観の土地は乱開発の対象にされ環境汚染に晒されます。離農する農民の土地を競売に参加して買い求めていく。山や野や畑がありのままに動物たちがイキイキと生きていけるように、それが彼女の願いだったのでしょうか。
1913年47歳のとき、土地の購入の手続きをしてくれた弁護士のウィリアム・ヒーリスと結婚、ロンドンの実家を出てヒルトップの家を終の棲家とします。創作活動は1930年64歳のときの24作目で終わり、いらい農作業や社会活動をしながら暮らしました。1943年77歳で没。
ナショナル・トラスト・・・National Trust for Places of Historic Interest or Natinal Beauty・・・歴史的名所と自然景観を保護するために信託された国民活動・・・という意味かな?1895年英国で設立された上記の意味の今で言うNPOみたいなもの、会費によるボランティア団体。今では世界各国にある。
ちなみに日本では「日本の公園の父」といわれる本多静六博士が秩父大滝村の山林2700㌶を1930年埼玉県に教育基金として寄託。
いい映画です。美しく悲しい恋物語、恋人の死から立ちなおっていく姿に感動しました。女優さんがイイ、美人ではないが内面の美しさ優しさを表しています。映画ですから事実と少し違うかもしれませんがオススメ。ウルルン・・・
DVDは○○や書店のレンタル。ここの店は自宅でPC検索できる点がいい。
こども動物自然公園の散歩はウサギのピーターちゃんのお母さんの話で終わりです。
四季折々に訪ねたいところです。次はバラの咲くころに訪れたいが。
この稿を書くにあたり次のHPがたいへん参考になりました。
ビアトリクス・ポターWikipedia 福音館書店ピーター・ラビット
・・・散歩しているうちにふと立ち寄った「ビアトリクス・ポターの家」・・・
全世界に1億5000万部出版された絵本「ピーター・ラビット」のお母さん「ビアトリクス・ポター」。
今日はその「ポター」のお話をしょうと思います。
映画「ミス・ポター」(2006年公開)・・・DVDで見ました。
オープニング・タイトルです・・・・・
オープニング・タイトルです・・・・・
ビアトリクス・ポター(1866~1943年)英国ロンドンの上流階級の生まれ。とうじの英国の上流階級(有産階級)とは祖先の遺産の不労所得で働かなくて生活してる階級のようです。英国は格差社会、階級社会ですが、今はどうであるかよく知りません。上流階級の子女は家庭教師から教育を受けるのが常でした(女子の学校がなかった?)。ビアトリクスもまた家庭教師から教育を受けますがたいへん頭がよく化石や菌類や地衣類の研究では論文を書くほどだったそうです。
上流階級ですから夏は英国中部の湖水地方に避暑に出かけ野山や畑、小動物、昆虫などと親しみました。この出会いがピーター・ラビットの創作の原点になり後年の自然保護への強い思いを培ったのでしょうか。
ピーター・ラビットの誕生です。
かつての家庭教師アニーとは文通をつづけていましたが1893年アニーの5歳になる息子ノエルに絵手紙を送ります。そのときの絵がピーター・ラビットの誕生のきっかけになります。
こどもに夢を与える絵本を、そう考えた彼女はいくつかの出版社に原画を持ち込みますがどこも請けてくれません(とうじの女性の社会的地位が原因かも知れません)。1901年私家版(自費出版)で250部印刷(1色刷)、これが評判を呼び第2刷を250部、これも成功。原本は葉書大・・・こどもの手のひらを考えたらしい。1色刷りだったのは廉価版にしたかった?
1902年ウォーン社が多色刷りで第2版を引き請けてくれることになります。これが「ピーター・ラビットのおはなし(マクレガーさんの庭)」の初版です。
映画ではウォーン社の出版の話から始まります。そのときの担当者がウォーン社のノーマン・ウォーン・・・のちに求婚されます。この求婚は両親の反対があり(商売人の倅というのが反対の理由でよくわかりません?)強行に婚約しますが結婚を前にノーマンが急死。部屋に閉じこもり絵を描き続ける彼女がやがて決断したのが湖水地方ソーリー村のヒルトップ農場の購入でした。ビアトリクス39歳のときです。
1905年購入のヒルトップの家、購入資金は絵本の印税から。
いつの時代にも美しい自然景観の土地は乱開発の対象にされ環境汚染に晒されます。離農する農民の土地を競売に参加して買い求めていく。山や野や畑がありのままに動物たちがイキイキと生きていけるように、それが彼女の願いだったのでしょうか。
1913年47歳のとき、土地の購入の手続きをしてくれた弁護士のウィリアム・ヒーリスと結婚、ロンドンの実家を出てヒルトップの家を終の棲家とします。創作活動は1930年64歳のときの24作目で終わり、いらい農作業や社会活動をしながら暮らしました。1943年77歳で没。
エンド・クレジットの前に流れるテロップ。
4000エーカーの土地を国家に寄付(16k㎡=1600㌶、皇居の約7倍)。
4000エーカーの土地を国家に寄付(16k㎡=1600㌶、皇居の約7倍)。
ナショナル・トラスト・・・National Trust for Places of Historic Interest or Natinal Beauty・・・歴史的名所と自然景観を保護するために信託された国民活動・・・という意味かな?1895年英国で設立された上記の意味の今で言うNPOみたいなもの、会費によるボランティア団体。今では世界各国にある。
ちなみに日本では「日本の公園の父」といわれる本多静六博士が秩父大滝村の山林2700㌶を1930年埼玉県に教育基金として寄託。
いい映画です。美しく悲しい恋物語、恋人の死から立ちなおっていく姿に感動しました。女優さんがイイ、美人ではないが内面の美しさ優しさを表しています。映画ですから事実と少し違うかもしれませんがオススメ。ウルルン・・・
DVDは○○や書店のレンタル。ここの店は自宅でPC検索できる点がいい。
こども動物自然公園の散歩はウサギのピーターちゃんのお母さんの話で終わりです。
四季折々に訪ねたいところです。次はバラの咲くころに訪れたいが。
この稿を書くにあたり次のHPがたいへん参考になりました。
ビアトリクス・ポターWikipedia 福音館書店ピーター・ラビット
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