比企の丘

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北安曇野・・・仁科御厨の鎮護神・・・日本最古の神明造り・・・国宝「仁科神明宮」をお詣り

2021-06-11 | 信濃の国は 安曇野・松本・木曽
信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月27日快晴、松本平から大町方面にプチドライブ・・・国宝「仁科神明宮」(大町市社字宮本)にお詣りしました。

日本最古の神明造りの社です。神明造りといえば伊勢神宮・・・20年に一度の式年遷宮を行い神殿が新築されていきます。ここ仁科神明宮も創建の平安時代より式年造営を行ってきましたが、江戸時代の1636年を最後にそれが途絶えて修復のみとなり今に至り、1636年造営の社殿が日本最古の神明造りの社殿として残されました。

仁科神明宮のエントランスです。
県道51号線宮本交差点から東に向かって「旧千国街道(塩の道)」に案内板が。

境内を進みます。

樹齢700年を超える杉、檜の社叢・・・石段の向こうに神門が見えてきます、

神門・・・その奥に拝殿。

神門をくぐると拝殿、中門、釣屋、本殿です。中門と本殿が国宝です。



※撮影日は4月27日。
仁科神明宮・・・平安時代に伊勢神宮の神領仁科御厨の厨司(管理人)の仁科氏が仁科御厨の鎮護神として伊勢神宮から勧請して創建した神社。創建年は記録がなく不明、11~12世紀ごろと推定。伊勢神宮系であるから20年に一度の式年造営が行われ、江戸時代前期の1636年後はに修営にとどめるようになって、いまに至っています。直近の修営は2019年。1376年から式年造営の棟札が残り30枚(600年)、うち27枚は国指定重要文化財。その棟札の記録から最後の全面造営は1636年と判明、神明造りの社殿としては日本最古とされます。
仁科氏…むかし今の大町あたりは仁科の郷と呼ばれました。仁科とは仁(酸化鉄を含んだ赤土)の多い山のこと。飛鳥時代、奈良時代から平安時代、皇室、有力神社が地方に御領、御園、神領、御厨などを経営、崇神天皇の庶系が下降して仁科の郷で仁科御厨の厨司に。やがて耕地を開発して仁科の荘を経営し安曇地区一帯を支配、戦国時代の16世紀半ばに、武田氏に滅ぼされるまで続いた豪族仁科氏の開祖に。
長野県歌「信濃の国」に・・・仁科の五郎信盛も・・・と謳われている武将は仁科氏滅亡のあと仁科姓を名乗ってこの地を支配した甲斐国武田信玄の五男盛信のこと。

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