3月31日、昨日に続いて同じコース。今日はオバサンといっしょに歩きです。
今宿の今川橋ちかくにある圓正寺の前を通りました。こんなところまで歩いてくることがないのではじめて見るお寺さんです。
寛永年間(江戸初期)に曹洞宗のお寺として開基といいますが中世のころからあったお寺らしい。縁起書がありませんからわかりません。ということはたしかな文書が伝わってないのでしょうね。無住の寺の時代が続いたのでしょうか。
門の右に馬頭観音が、左に六地蔵?
境内に板碑(板石塔婆とも)が5基。
いちばん大きな板碑に元享四年(1324年)と彫ってあるのが読めます。鎌倉幕府最後の執権北条高時の時代です。
板碑(青石塔婆)はこの地方では珍しいものでなくあまり見てもらえません。
雲版(うんぱん)の説明板がありました・・・埼玉県指定有形文化財、1933年この付近の畑で発掘、応安四年(1371年)の刻印があるとか。青銅製、縦横40cm前後。中世に中国から伝わった禅寺で使われる食事時間を知らせるドラみたいなものらしいです。
展示してあるわけではありませんからよくわかりません。レプリカでもいいからおいてほしいですね。
今宿の今川橋ちかくにある圓正寺の前を通りました。こんなところまで歩いてくることがないのではじめて見るお寺さんです。
寚陀山・・・ほうださん?・・・読めません、書けません。山号です。
圓正寺・・・えんせいじ?えんしょうじ?
圓正寺・・・えんせいじ?えんしょうじ?
寛永年間(江戸初期)に曹洞宗のお寺として開基といいますが中世のころからあったお寺らしい。縁起書がありませんからわかりません。ということはたしかな文書が伝わってないのでしょうね。無住の寺の時代が続いたのでしょうか。
本堂です。最近の建造物です。百日紅のほうが古そうだ。
門の右に馬頭観音が、左に六地蔵?
境内に板碑(板石塔婆とも)が5基。
いちばん大きな板碑に元享四年(1324年)と彫ってあるのが読めます。鎌倉幕府最後の執権北条高時の時代です。
板碑(青石塔婆)はこの地方では珍しいものでなくあまり見てもらえません。
雲版(うんぱん)の説明板がありました・・・埼玉県指定有形文化財、1933年この付近の畑で発掘、応安四年(1371年)の刻印があるとか。青銅製、縦横40cm前後。中世に中国から伝わった禅寺で使われる食事時間を知らせるドラみたいなものらしいです。
展示してあるわけではありませんからよくわかりません。レプリカでもいいからおいてほしいですね。
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