比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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冬の信濃路・・・古代塩野牧の馬の出入り口・・・馬瀬口・・・柵口神社

2018-04-04 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

2月14日、長野県北佐久郡御代田町馬瀬口(マセグチと読みます)にやってきました。
国道18号線「馬瀬口交叉点」を山側に曲がり最初の交叉点を右に曲がるとこんな街並みが見えてきます。旧北国街道(県道134号線)、中山道追分宿から北国街道小諸宿との中間、一里塚があり、主に輸送用の馬、牛(中牛馬)とそれに携わる馬方などが休息する馬宿、牛宿の「間の宿」のあったところです。旅人も休息できる宿でもあったようです。
地名の由来は古代官営牧場の塩野牧・・・放牧場の馬柵の出入口・・・馬塞、馬栓・・・から来たマセ・・・馬瀬、間瀬、真瀬など表記はいろいろ。

旧北国街道・・・何となくむかしの街道筋を思わせる雰囲気があります。

馬瀬口集落、旧北国街道、1878年、明治天皇が東海道、北陸道を巡幸されたときご休息されたという高山家です。御代田町指定史跡。

馬瀬口の氏神・・・柵口神社の一の鳥居・・・石段を昇ると二の鳥居・・・拝殿に続きます。

柵口神社拝殿・・・ませぐちと読む・・・馬瀬口と同意。祭神は大山祇神の娘―盤長姫命、創建年不明。

裏口に回ると、石碑が・・・御嶽信仰系、庚申塔、、大日大聖不動明王?など・・・石神、石仏が乱立?


馬瀬口集落の外れで見える風景・・・浅間山麓・・・繰矢川の上流・・・
火山灰が積層し凝灰したシラス台地、枯れ沢(軽井沢)の末端から川となってシラス台地を削って田切地形(断崖)に。
※撮影日は2月14日。


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