比企の丘

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青天を衝け」・・・澁澤栄一の妻「千代」のこと

2022-02-17 | 本・テレビ、ドラマ・映画・スポーツ
              、
2021年、NHK大河ドラマ「晴天を衝け」・・・面白く見ていました。新一万円札の顔、わが埼玉県の生んだ近代資本主義経済の父、澁澤栄一の伝記。
日本が近世封建主義から明治維新に、欧米列強に対抗しうる国の体制づくりを模索しているとき、近代経済体制の基礎を作り上げていった男、国立第一銀行をはじめに、金融、鉱業、製鉄、建設、など500余の会社の立ち上げを演出した男・・・ドラマは余すことなくそれを語っていましたが・・・

ドラマではあまり語られなかった栄一の妻・・・千代・・・について・・
澁澤千代・・・1841年武蔵国榛沢郡下手計村の尾高家に生まれる。千代の母は栄一の父の姉。千代は栄一の従妹、千代の兄で栄一が読み書きを習った尾高淳忠(助五郎)は従兄であり義兄になります。いまは従兄妹同士の結婚は聞きませんがむかしは普通にあったようです。1858年千代は栄一と結婚(栄一18歳、千代17歳)、1863年栄一は千代を武州血洗島に残して京都へ、1864年徳川一橋家に仕官、1867年徳川昭武に従いフランスへ、1868年帰国後、静岡で徳川慶喜の下に、血洗島から千代を呼び寄せ結婚以来10年後にはじめて一家水入らずの家庭生活が始まります。
榮一と千代の間には1863年歌子、1870年琴子。1871年篤二の3人の子が(長男市太郎は早逝)。
静岡から東京へ、栄一は官界から実業界へ、精力的な活動で近代資本主義経済の基礎を作り上げていきます。多忙で家庭を顧みる暇もない栄一でしたが千代は内助の功を尽くします。

千代の死・・・
1882年(明治15年)、千代はコレラに感染、王子飛鳥山の別邸にて41歳で死去。
長女歌子19歳、次女琴子12歳、長男篤二11歳。感染症のため病床の母の顔を見ることも遺体に取りすがって泣くことも許されませんでした。

コレラ・・・経口感染症、消化器系の疫病。インドのガンジス川のあたりの風土病。紀元前300年ころにサンスクリット文字でその記録があるという。世界に広がりだしたのは1817年インドのコルカタから、あっという間に全世界に蔓延(イギリス東インド会社が本格的にインド植民地経営を始めたころです)。以来、現在までに7回のパンデミックが。
日本では1822年対馬、下関から関西に、死者10数万人。1858~1862年数十万人、1879年10数万人、1882年3万人、1886年1万人、1890年3万人。1899年海港検疫法成立。2017年検疫法の対象病原体から除外。
予防は衛生管理、上下水道の完備。治療法、治療薬、ワクチンが開発されています。


大河ドラマ「青天を衝け」から澁澤栄一の妻千代のコレラによる死と合わせて・・・コロナ禍を考えた。
疫病は政治、経済、宗教、個人の信条、思惑など関係ありません。

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2 コメント

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コレラ (こきおばさん)
2022-02-17 10:25:46
 そうでしたか。千代さんはコレラで亡くなられたのですね。
 
 これらといえば・・・・・旧満州で新京からもうすぐ引き揚げられるという矢先に、共に生活していた従妹がひどい下痢症状になり、コレラではないかと思われました。その頃コレラが流行っていたのです。
そんなある夜、父と母とでこんな会話をしていました。「もしコレラなら一緒に帰れないから、俺が残るから頼む」「いえ女の子ですから私が面倒を見ます。私が残ります」・・・私の不安は極限状態でした。従妹の両親は父はシベリヤに送られ、母その少し前、亡くなっていませんでした。
幸いコレラではなく、一緒に引き揚げてくることが出来ましたが、今ももしあのときコレラだったら・・・と身震いすることがあります。
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引揚船 (こきおばささんへ…ヒキノ)
2022-02-17 19:47:45
引揚船に乗る前に、そんなことがありましたか。
引揚船に乗ってからも、港について検疫で何日か沖に上陸できないでいたとか。早く上陸したかったと思います。
ご苦労さまでした。
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