彩の国、荒川の中流域・・・荒川と支流市野川の境の背割り堤・・・の上は菜花(正式には芥子菜)の花盛りです。
※背割堤とは二つの河川が平行して流れ合流するとき、二河川の間にある二つの堤防が一本になって、合流点を下流へ移し、水位差による影響を軽減させるものです。
※背割堤とは二つの河川が平行して流れ合流するとき、二河川の間にある二つの堤防が一本になって、合流点を下流へ移し、水位差による影響を軽減させるものです。
背割堤の終点まで来ました。右が荒川右岸の河川敷、左が市野川左岸の河川敷になります。
河川敷内ですが民有地、青みを増した麦畑に囲まれています。
背割堤の荒川の河川敷の道路際に、こんな石碑が建っていました。馬頭観音、土橋供養碑、お地蔵、如意観音・・・かな?
土橋供養碑に天保二辛卯二月・・・と刻んであります(辛卯とは1831年)。土橋供養が建設の犠牲者供養か前の橋の供養か・・・ワカリマセン
土橋供養碑の右、荒川本流です。対岸は北本市石戸あたり。
今日のコミミズク・・・鼠を捕まえて空を飛ぶコミミズク。
コミミズクの北に帰る日は近い。
河川敷内ですが民有地、青みを増した麦畑に囲まれています。
背割堤の荒川の河川敷の道路際に、こんな石碑が建っていました。馬頭観音、土橋供養碑、お地蔵、如意観音・・・かな?
土橋供養碑に天保二辛卯二月・・・と刻んであります(辛卯とは1831年)。土橋供養が建設の犠牲者供養か前の橋の供養か・・・ワカリマセン
土橋供養碑の右、荒川本流です。対岸は北本市石戸あたり。
今日のコミミズク・・・鼠を捕まえて空を飛ぶコミミズク。
コミミズクの北に帰る日は近い。
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