NHKの朝のテレビ小説「とと姉ちゃん」が視聴率25%を越えて好調なんだそうです。
「暮しの手帖」社の創業者大橋鎭子さんをモデルにしたドラマのようです。
※何10冊と有った「暮しの手帖」・・・あるとき、図書館のリサイクル本として出してしまいました。
今日、図書館で幾冊かの「暮しの手帖」関係の本を借りてきて読んでいます。
テレビドラマの主人公小橋常子さん・・・「暮らしの手帖社」の創業者大橋鎭子さんがモデル。編集長の花山さんは創刊からの編集長花森安治さんがモデル。
「暮しの手帖」社の創業者大橋鎭子さんをモデルにしたドラマのようです。
※何10冊と有った「暮しの手帖」・・・あるとき、図書館のリサイクル本として出してしまいました。
今日、図書館で幾冊かの「暮しの手帖」関係の本を借りてきて読んでいます。
テレビドラマの主人公小橋常子さん・・・「暮らしの手帖社」の創業者大橋鎭子さんがモデル。編集長の花山さんは創刊からの編集長花森安治さんがモデル。
大橋鎭子著「暮しの手帖とわたし」(2010年刊)、暮しの手帖別冊「しずこさん」(2016年5月刊)。
「戦争中の暮らしの記録」保存版・・・写真は1986年8月(第10刷)刊行のもの。
1968年8月に刊行した「暮しの手帖」の特集号を上製本使用にして1969年8月15日に発行。
「戦争中の暮しの記録」巻頭のグラビア写真・・・東京大空襲。
空いっぱいにひろがる焼夷弾・・・一夜で焦土と化した東京・・・とにかく生きていた・・・そして戦争の終った日。
文章など書いたことのない普通の人の綴り方による戦争体験の証言記録。貴重なアーカイブです。
《ネタバレのようですが》
※大橋鎭子(1920~12013年)・・・東京府立第六高等女学校(現都立三田高校)、下級生に石井好子、日本興業銀行入社、社内用の広報誌「調査月報」の編集を(このときの活字の指定の仕方やレイアウトの組み方の経験が後に役に立ちます)、向学心から銀行を3年で退社、日本女子大学に入学、病気のため中退、日本読書新聞入社、ふたたび活字の仕事の世界に、編集者に柴田錬三郎が、川端康成のところに原稿をとりに行ったことも(これが後に役に立つ)。日本出版文化協会出向、上司に後の時代小説家南条範夫。やがて敗戦。敗戦の翌年に自分で出版社「衣裳研究所」を立ち上げます。
※花森安治(1911~1978年)・・・東京大学文学部、「帝国大学新聞」編集部、卒業後パピリオ宣伝部に、上司に画家、デザイナーとして有名な佐野繁次郎、広告デザイン、広告コピー、レタリング(文字デザイン)、挿絵、色彩感覚など大いに感化される。軍隊に応召、満州で肺結核に、除隊。大政翼賛会傘下の広報組織に、国策広告、標語などの仕事に。敗戦、日本読書新聞の挿絵など。旧制松江高校時代からの親友の日本読書新聞編集長の紹介で大橋鎭子さんの立ち上げた出版社の編集長に。稀代の鬼才、奇人、変人。「暮しの手帖」の表紙イラストは創刊から死の直前まで花森さんが描いたものでした.
ふたりは車の両輪・・・衣裳研究所発行の「スタイルブック」は1948年「美しい暮らしの手帖」に、1951年暮しの手帖社に社名変更、1953年「暮しの手帖」に。
この雑誌の底に流れていたコンセプト(基本信念)は何だったでしょう。
※大橋鎭子(1920~12013年)・・・東京府立第六高等女学校(現都立三田高校)、下級生に石井好子、日本興業銀行入社、社内用の広報誌「調査月報」の編集を(このときの活字の指定の仕方やレイアウトの組み方の経験が後に役に立ちます)、向学心から銀行を3年で退社、日本女子大学に入学、病気のため中退、日本読書新聞入社、ふたたび活字の仕事の世界に、編集者に柴田錬三郎が、川端康成のところに原稿をとりに行ったことも(これが後に役に立つ)。日本出版文化協会出向、上司に後の時代小説家南条範夫。やがて敗戦。敗戦の翌年に自分で出版社「衣裳研究所」を立ち上げます。
※花森安治(1911~1978年)・・・東京大学文学部、「帝国大学新聞」編集部、卒業後パピリオ宣伝部に、上司に画家、デザイナーとして有名な佐野繁次郎、広告デザイン、広告コピー、レタリング(文字デザイン)、挿絵、色彩感覚など大いに感化される。軍隊に応召、満州で肺結核に、除隊。大政翼賛会傘下の広報組織に、国策広告、標語などの仕事に。敗戦、日本読書新聞の挿絵など。旧制松江高校時代からの親友の日本読書新聞編集長の紹介で大橋鎭子さんの立ち上げた出版社の編集長に。稀代の鬼才、奇人、変人。「暮しの手帖」の表紙イラストは創刊から死の直前まで花森さんが描いたものでした.
ふたりは車の両輪・・・衣裳研究所発行の「スタイルブック」は1948年「美しい暮らしの手帖」に、1951年暮しの手帖社に社名変更、1953年「暮しの手帖」に。
この雑誌の底に流れていたコンセプト(基本信念)は何だったでしょう。
「戦争中の暮らしの記録」保存版・・・写真は1986年8月(第10刷)刊行のもの。
1968年8月に刊行した「暮しの手帖」の特集号を上製本使用にして1969年8月15日に発行。
「戦争中の暮しの記録」巻頭のグラビア写真・・・東京大空襲。
空いっぱいにひろがる焼夷弾・・・一夜で焦土と化した東京・・・とにかく生きていた・・・そして戦争の終った日。
文章など書いたことのない普通の人の綴り方による戦争体験の証言記録。貴重なアーカイブです。
後ろ髪をひかれる思いでしたが・・・・・
今、せめてこの「戦争中の暮らしの記録」だけでも残しておくべきだったと悔やんでいます。
花森さんのスカート姿など、思い出しています。
「戦争中の暮らしの記録」を見ると・・・大橋さん、花森さんの信念が見えてきます。二人とも、戦中、戦後を生きて、戦争のことを一番知っていた。戦争のない時代を次の世代につないでもらいたいという思いが詰まっています。
「戦争中の暮らしの記録」・・・amazonで見ると2000円から10000円くらい、今も高価で流通しています。
https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9A%AE%E3%81%97%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E2%80%95%E4%BF%9D%E5%AD%98%E7%89%88-%E6%9A%AE%E3%81%97%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%B8%96%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4766001036/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1469523280&sr=1-1&keywords=%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2
個人持ちでなくてもイイから、図書館にはぜひ備えてもらいたいです。平和資料館にもおいてほしいですね。