2018年1月3日、朝日新聞朝刊の7頁国際面に・・・ローマ法王が昨年末、教会関係者に「核廃絶を訴えて」1945年8月9日ナガサキに原爆が落とされた直後の様子を米軍従軍カメラマンが写した写真の中で最も有名な「焼き場に立つ少年」の写真にメッセージとサインを添え配付していたことが報道されていました。詳細はキリヌキのコピーをごらんください。
「焼き場に立つ少年」について・・・2017年8月11日のブログよりそのまま重複掲載。
8月10日の朝日新聞の朝刊社会面に紹介された本です。
坂井貴美子著
「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」
写真は長崎に原子爆弾が落とされた直後、長崎に進駐した米軍カメラマンが撮影した「焼き場に立つ少年」。
軍の許可なく私品のカメラで約300枚を撮影、秘密裡に持ち帰りトランクの中に封印、44年後の1989年封印されたトランクを開いて公開した、核兵器を使った戦争の惨禍を訴えた写真のうちの・・・あまりにも有名な1枚。
※米軍カメラマンの名は・・・ジョー・オダネル(1922~2007年)米海兵隊写真班員として従軍、被爆直後の広島・長崎を爆撃効果確認のための記録写真撮影(撮影用カメラは軍の貸与品、命令以外の私的な撮影は禁止されていた)、日本軍憎しで固まっていたオダネルが佐世保から長崎に入って目にしたものは衝撃的で、身心に傷を負い、秘かに撮影した被曝の現状写真を隠し持って帰国。
67歳の時、トランクの中の「広島・長崎の被曝の現況写真」の封印を解き、全米各地で写真展を開きます。・・・被曝犠牲者への思いをこめて・・・
原爆正当化論の根強いアメリカで強いバッシングを受け、奥様とは離婚、そんな環境に耐えながら、2007年85歳で亡くなるまで世界各地で写真展を開催し続けました。
※坂井貴美子(1960年~)・・・福島県生まれ、クリスチャン、1991年会津若松市栄町教会の写真展でジョー・オダネルと出会い1995年オダネルと結婚、2007年死別。米国在住。
※「焼き場に立つ少年」・・・長崎の浦上川の畔で。
死体焼き場に赤ちゃんをオンブして立つ少年、眠っているかどうかわからない。やがて大人たちがオンブ紐を解いて子どもを抱き下ろしそっと炎の中に。少年は炎の中の弟を不動の姿勢で口を堅く結んで見守っていたがやがて去って行ったという。
2007年、日本の皇后陛下は、オダネルが従軍中の長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の新聞への掲載が、その年に印象に残ったことの一つとして言及されている(Wikipediaより)
《参考にした記事》
★Wikipedia 「ジョー・オダネル」
★Amazon 神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産 (いのちのことば社) (Forest・Books)
★米国在住、ピアノ弾き&教師のまうみさんのブログ・・・コメントが286もある反響を呼んだものです ↓クリック
あなたこの『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争をしようと思いますか?
★※動画・・・49分の長尺です。ぜひ見てほしい。
NHKスペシャル「解かれた封印 ~米軍カメラマンが見た長崎(NAGASAKI)~」
※出版社「理論社」の元社長故小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中で戦後間もなく書いた自分の作品がGHQにより削除命令を受けその理由を次ように指摘されたことを記している。
「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されている」・・・
「焼き場に立つ少年」について・・・2017年8月11日のブログよりそのまま重複掲載。
8月10日の朝日新聞の朝刊社会面に紹介された本です。
坂井貴美子著
「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」
いのちのことば社 2017年7月5日初版
写真は長崎に原子爆弾が落とされた直後、長崎に進駐した米軍カメラマンが撮影した「焼き場に立つ少年」。
軍の許可なく私品のカメラで約300枚を撮影、秘密裡に持ち帰りトランクの中に封印、44年後の1989年封印されたトランクを開いて公開した、核兵器を使った戦争の惨禍を訴えた写真のうちの・・・あまりにも有名な1枚。
※米軍カメラマンの名は・・・ジョー・オダネル(1922~2007年)米海兵隊写真班員として従軍、被爆直後の広島・長崎を爆撃効果確認のための記録写真撮影(撮影用カメラは軍の貸与品、命令以外の私的な撮影は禁止されていた)、日本軍憎しで固まっていたオダネルが佐世保から長崎に入って目にしたものは衝撃的で、身心に傷を負い、秘かに撮影した被曝の現状写真を隠し持って帰国。
67歳の時、トランクの中の「広島・長崎の被曝の現況写真」の封印を解き、全米各地で写真展を開きます。・・・被曝犠牲者への思いをこめて・・・
原爆正当化論の根強いアメリカで強いバッシングを受け、奥様とは離婚、そんな環境に耐えながら、2007年85歳で亡くなるまで世界各地で写真展を開催し続けました。
※坂井貴美子(1960年~)・・・福島県生まれ、クリスチャン、1991年会津若松市栄町教会の写真展でジョー・オダネルと出会い1995年オダネルと結婚、2007年死別。米国在住。
※「焼き場に立つ少年」・・・長崎の浦上川の畔で。
死体焼き場に赤ちゃんをオンブして立つ少年、眠っているかどうかわからない。やがて大人たちがオンブ紐を解いて子どもを抱き下ろしそっと炎の中に。少年は炎の中の弟を不動の姿勢で口を堅く結んで見守っていたがやがて去って行ったという。
2007年、日本の皇后陛下は、オダネルが従軍中の長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の新聞への掲載が、その年に印象に残ったことの一つとして言及されている(Wikipediaより)
《参考にした記事》
★Wikipedia 「ジョー・オダネル」
★Amazon 神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産 (いのちのことば社) (Forest・Books)
★米国在住、ピアノ弾き&教師のまうみさんのブログ・・・コメントが286もある反響を呼んだものです ↓クリック
あなたこの『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争をしようと思いますか?
★※動画・・・49分の長尺です。ぜひ見てほしい。
NHKスペシャル「解かれた封印 ~米軍カメラマンが見た長崎(NAGASAKI)~」
※出版社「理論社」の元社長故小宮山量平は長編小説「千曲川四部作」の中で戦後間もなく書いた自分の作品がGHQにより削除命令を受けその理由を次ように指摘されたことを記している。
「左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されている」・・・
※コメント欄開いています。
胸が痛みます・
感想は書けませんですが・・
教えてくださりありがとうございます。
唇から血が出るほど、強くかみしめていたこの少年の姿は、核の戦争の罪悪を象徴しているものだと思います。
よく書いてくださいました。ツイートさせていただきます。
原爆肯定論のアメリカで40年の封印を解いて写真の公開に踏み切った・・・
バチカン法王庁も封印を解いたのは40年以上経ったときでした。
大声で平和を叫ぶより、こんな真実で皆さんに平和の尊さをわかってもらいたい。