愛読者フォローをしていただいている・・・「たまゆら」さん・・・のブログである本を紹介されて興味をそそられて図書館で借りてきて読書開始。
山藤章二著『昭和よ』(岩波書店 2019年4月刊)です。
山藤章二・・・1937年東京都に生れる。生後4か月で父を亡くし母子家庭で育つ。父が国鉄職員だった関係で遺族の母は鉄道弘済会(現キヨスク)目黒駅売店の売り子の職を得て4人の子どもを育てた。カネのかからない官学の東京芸大を目指したが3度失敗。武蔵野美術学校デザイン科に。アカデミックな芸大に進まなかったのが後の成功に。イラストレーター、似顔絵作家、風刺漫画家、エッセイストとして現在に至る。
1937年(昭和12年)生まれですから、本の内容は文字通り山藤さんの育った幼年期から少年期の昭和の戦争真ッただ中。少年期・青年期は戦後の飢餓期・復興期。青年期・壮年期は復興期・高度成長期・バブル期・・・が中心になります。そして平成、令和時代へ。
『昭和よ』の(その一)の3章目の『八月は厭』というお題から・・プロローグは
八月というのは重くて辛くて嫌な月だ。
全ての日本人は共通して思うことだろう。
とりわけわれわれの世代には八月は重い。
ではじまります。エッセイの内容は・・・昭和の時代の「正」と「負」のお話しです。
「負」の部分から・・・
・空襲による本土壊滅作戦。主要部分は焦土と化し。何十万人という犠牲者が出た。
・連合国側は、”徹底抗戦”の日本側を制圧するために沖縄に上陸、ひめゆり部隊の集団自決、火炎放射器による日本人全滅作戦を実行など、最終段階に入る。
・広島と長崎に”非人道的核爆弾投下”。戦争そのものが非人道的であるから、その最終手段として”非人道的”にならざるを得ない。東京に居たものにとっては、原爆のもたらすものの正体は詳しくは知らされなかったが、歳月が経ち、その威力や被災の状況が明らかになるにつれ、被災者は地獄の渦の中に呑まれたと、様々な情報で知る。
先程の国連会議に於いて日本は、「核兵器禁止条約」に米国とともに反対した。日本が世界で唯一の被爆体験国だから声を大にして賛成すべきなのにそれをしなかった。アメリカに追従する姿勢が必要だったのだろうが、日本の役割を放棄してしまった。
原爆投下の責任については、”今の感覚”では単純には言えない。原爆投下なかりせば、米軍が日本本土に上陸して大修羅場を展開しただろう。退くも地獄、行くも地獄。という様相である。どう伝えたって実態には変わりはない。でも誰かが伝えねばならない。ここで毎年私は思考停止状態になる。
「正」の部分から・・・
昭和二十年代から日本国は変わった。民主主義、男女同権、女性に選挙権、財閥解体、言論職業選択の自由、いまでは当たり前だけど、すべては米国の指導で与えられた国のしくみである。
食糧を与えられ、教育の機会を与えられ、スポーツ娯楽を与えられて別の国に変貌した。
東京オリンピック、万博が開かれ、新幹線が走り、東京タワーが立ち、民間放送局が立ち上がった。遊興施設、飲み食いの自由、生活全般の西洋化、兵役義務の撤廃などなど、若者にとっては信じられないさまざまなことが昭和20年からはじまったのである。近隣の朝鮮半島での戦いから日本の経済活動は復活した。日本は米軍に基地と軍需品を提供して金儲けをし、一躍国際的に経済大国として名乗りをあげるまでになった。いいことばかりを列挙してゆけば、”奇跡の敗戦国”ということになるが、国民の知らないところでアメリカの子分として立国へ成功したのである。かくして、”アメリカには逆らえない一流国”が出来上がった。ということくらいは心得ていてほしい。
さて、以上の粗筋で今日の日本を理解して貰いたいのだが、「負の部分」はあまりにも屈辱的で悲劇的であり、反面、「正の部分」のみを語ってゆけばあまりにも日本らしさ、日本文化の矜持を忘れ去る。
正、負、ふたつの部分をかろうじて視界に入れているわれわれ世代は、そこで考えざるを得ない。これだけ短い期間に大きく様変わりしたわが国の、どちらを力点として語ればいいのか、どちらも日本である。
(中略)
毎年八月になると、このことで思考停止に陥る。だから私は八月は嫌いなのだ。
☆著者の山藤章二さんは右寄りのひとでもなければ左寄りのひとでもなく思想的には普通の、どちらかというと中道やや右寄りのひとだろうと思います。ただ幼年期に東京の空襲を知り、少年期に戦中戦後の飢餓時代を生きてきた昭和のひとですから「反戦思想」はしみついてます。そして高度成長時代、バブルの時代で「ハンセン(反戦)」より「ハンジョウ(繁昌)時代」も知っています。
固い社会派のお題はこれだけです。あとのお題は山藤さん独特のユーモアあふれる文章で彩られています。ぜひ読んでみてください。
この本を紹介してくれたブロガーの「たまゆら」さんに感謝です。
山藤章二著『昭和よ』(岩波書店 2019年4月刊)です。
山藤章二・・・1937年東京都に生れる。生後4か月で父を亡くし母子家庭で育つ。父が国鉄職員だった関係で遺族の母は鉄道弘済会(現キヨスク)目黒駅売店の売り子の職を得て4人の子どもを育てた。カネのかからない官学の東京芸大を目指したが3度失敗。武蔵野美術学校デザイン科に。アカデミックな芸大に進まなかったのが後の成功に。イラストレーター、似顔絵作家、風刺漫画家、エッセイストとして現在に至る。
1937年(昭和12年)生まれですから、本の内容は文字通り山藤さんの育った幼年期から少年期の昭和の戦争真ッただ中。少年期・青年期は戦後の飢餓期・復興期。青年期・壮年期は復興期・高度成長期・バブル期・・・が中心になります。そして平成、令和時代へ。
『昭和よ』の(その一)の3章目の『八月は厭』というお題から・・プロローグは
八月というのは重くて辛くて嫌な月だ。
全ての日本人は共通して思うことだろう。
とりわけわれわれの世代には八月は重い。
ではじまります。エッセイの内容は・・・昭和の時代の「正」と「負」のお話しです。
「負」の部分から・・・
・空襲による本土壊滅作戦。主要部分は焦土と化し。何十万人という犠牲者が出た。
・連合国側は、”徹底抗戦”の日本側を制圧するために沖縄に上陸、ひめゆり部隊の集団自決、火炎放射器による日本人全滅作戦を実行など、最終段階に入る。
・広島と長崎に”非人道的核爆弾投下”。戦争そのものが非人道的であるから、その最終手段として”非人道的”にならざるを得ない。東京に居たものにとっては、原爆のもたらすものの正体は詳しくは知らされなかったが、歳月が経ち、その威力や被災の状況が明らかになるにつれ、被災者は地獄の渦の中に呑まれたと、様々な情報で知る。
先程の国連会議に於いて日本は、「核兵器禁止条約」に米国とともに反対した。日本が世界で唯一の被爆体験国だから声を大にして賛成すべきなのにそれをしなかった。アメリカに追従する姿勢が必要だったのだろうが、日本の役割を放棄してしまった。
原爆投下の責任については、”今の感覚”では単純には言えない。原爆投下なかりせば、米軍が日本本土に上陸して大修羅場を展開しただろう。退くも地獄、行くも地獄。という様相である。どう伝えたって実態には変わりはない。でも誰かが伝えねばならない。ここで毎年私は思考停止状態になる。
「正」の部分から・・・
昭和二十年代から日本国は変わった。民主主義、男女同権、女性に選挙権、財閥解体、言論職業選択の自由、いまでは当たり前だけど、すべては米国の指導で与えられた国のしくみである。
食糧を与えられ、教育の機会を与えられ、スポーツ娯楽を与えられて別の国に変貌した。
東京オリンピック、万博が開かれ、新幹線が走り、東京タワーが立ち、民間放送局が立ち上がった。遊興施設、飲み食いの自由、生活全般の西洋化、兵役義務の撤廃などなど、若者にとっては信じられないさまざまなことが昭和20年からはじまったのである。近隣の朝鮮半島での戦いから日本の経済活動は復活した。日本は米軍に基地と軍需品を提供して金儲けをし、一躍国際的に経済大国として名乗りをあげるまでになった。いいことばかりを列挙してゆけば、”奇跡の敗戦国”ということになるが、国民の知らないところでアメリカの子分として立国へ成功したのである。かくして、”アメリカには逆らえない一流国”が出来上がった。ということくらいは心得ていてほしい。
さて、以上の粗筋で今日の日本を理解して貰いたいのだが、「負の部分」はあまりにも屈辱的で悲劇的であり、反面、「正の部分」のみを語ってゆけばあまりにも日本らしさ、日本文化の矜持を忘れ去る。
正、負、ふたつの部分をかろうじて視界に入れているわれわれ世代は、そこで考えざるを得ない。これだけ短い期間に大きく様変わりしたわが国の、どちらを力点として語ればいいのか、どちらも日本である。
(中略)
毎年八月になると、このことで思考停止に陥る。だから私は八月は嫌いなのだ。
☆著者の山藤章二さんは右寄りのひとでもなければ左寄りのひとでもなく思想的には普通の、どちらかというと中道やや右寄りのひとだろうと思います。ただ幼年期に東京の空襲を知り、少年期に戦中戦後の飢餓時代を生きてきた昭和のひとですから「反戦思想」はしみついてます。そして高度成長時代、バブルの時代で「ハンセン(反戦)」より「ハンジョウ(繁昌)時代」も知っています。
固い社会派のお題はこれだけです。あとのお題は山藤さん独特のユーモアあふれる文章で彩られています。ぜひ読んでみてください。
この本を紹介してくれたブロガーの「たまゆら」さんに感謝です。
※コメント欄オープン。
「八月が厭」という一文について、先日私が触れたよりも更に詳しく、要点も的確で、分かりやすいご説明です。
私はやや粗雑過ぎましたので、それを充分に補って頂き、感謝します。
山藤さんは私より1歳下ですから、まさに同年代。きっと共感することばかりだと思います。
読書から離れてしまっていましたが、このブログを拝見していて、読んでみたくなりました。
広島、長崎の原爆忌、ソ連が満州に侵攻した日、8月15日は天皇が敗戦を宣言した日
次世代のひとに、きちんと伝えていきたい。
私も、折に触れて平和を静かに語っていきたいと思います。
良書の紹介を、ありがとうございました。