比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州上田は・・・むかし信濃国の国府・・・国分寺跡に・・・「カバン」の藤

2016-06-04 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田・・・奈良時代のむかし、ここは信濃の国の国衙(国府)があったと伝えられています。ヤマト中央集権の地方行政機関です。いまの県庁みたいなのです。国司(官選県知事みたいなもの)が派遣されていました。国衙には国分寺、国分尼寺がセットになっていたようです。東から国道18号線に沿って上田市街地に入る手前に国分寺跡、国分尼寺跡といわれる国史跡があります。地名もそれに合わせて国分(こくぶ)。いつの年代か国衙は上田(小県郡)から松本(筑摩郡)に移ったと伝えられます(なぜ国衙が移転したかも謎です)。。国衙がどこにあったのか、上田においても松本においても不明です。それを比定する遺構も文書もないようです。

信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です

信濃国分寺を後継する国分寺(平安時代の創建といわれますが確かなことは不明のようです)の国指定文化財三重塔
建立はいつの時代か不確か・・・建築仕様から室町時代の建立といわれます。

国分寺史跡公園・・・「カバンの藤」・・・
明治13年(1890年)ある銀行の役員さんがカバンに藤の苗を入れて行って植えたと伝えられています。

史跡公園の中に旧信越本線‥・現しなの鉄道が走っています。
遠くに見える斜張橋は北陸新幹線千曲川第二橋梁です。

史跡公園といっても・・・礎石のみ残っている緑地です。
※撮影日は2016年5月5日 Paasonic LUMIX DMC-FZ100。



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