信州上田の・・・六文銭の写真帳
2017年初冬、ふたたびの諏訪・・・諏訪大社下社周辺を尋ねました。下諏訪より諏訪湖を俯瞰・・・遠くに八ヶ岳連峰の権現岳、編笠山。前衛の山は霧ヶ峰から東に続く山なみ。
甲州道中・中山道合流之地・・・諏訪大社下社の門前町、中山道下諏訪宿、いで湯の町下諏訪・・・国道142号線(中山道)を和田峠方面から下ってきて。甲州方面からの国道20号線(甲州街道)に合流するあたり、諏訪大社下社秋宮、旧本陣岩波家、下諏訪のいで湯湧出の伝説「綿の湯」跡のモニュメント界隈です。
諏訪地名の謎・・・神話と歴史の地・・・謎多き国です。なぜ「諏訪」という地名か。現在の表記からは字義的には意味がワカリマセン。元は「洲羽」(古事記)という表記だったそうです。フォッサマグナの断層層のズレの溝に溜まった湖、火山流が流れ込んで次第に浅くなり今の姿に、諏訪湖畔の砂洲の様子を洲羽といったのでしょうか。
御神渡の謎・・・神話では上社の建御名方神と下社の八坂刀売神のランデヴーといわれています。自然科学的に考えれば諏訪湖に西から流れ込む砥川、東から流れ込む宮川の湖内の河道の温度差が影響しているらしい。そういわれると身も蓋ももない・・・伝説のほうがロマンだ・・・
中山道下諏訪宿・・・旧本陣「岩波家」・・・一般公開しています。
江戸時代、参勤交代の宿、京都朝廷からの日光例幣使の宿、朝鮮通信使の宿、幕末の1861年、14代将軍家茂に嫁いだ皇女和宮が泊まった宿・・・
歴史の舞台がいまも・・・
中山道下諏訪宿・・・旧脇本陣「まるや」・・・いまも「まるみ旅館」、「まるや工芸店」「茶房まどか」を。
下諏訪のいで湯の湧出由来・・・神話と伝説の世界ですが・・・画像クッリックでその昔話と伝説が。
伝説の「綿の湯」はいまはモニュメントに・・・碑は永六輔揮毫。
江戸時代、参勤交代の宿、京都朝廷からの日光例幣使の宿、朝鮮通信使の宿、幕末の1861年、14代将軍家茂に嫁いだ皇女和宮が泊まった宿・・・
歴史の舞台がいまも・・・
中山道下諏訪宿・・・旧脇本陣「まるや」・・・いまも「まるみ旅館」、「まるや工芸店」「茶房まどか」を。
下諏訪のいで湯の湧出由来・・・神話と伝説の世界ですが・・・画像クッリックでその昔話と伝説が。
伝説の「綿の湯」はいまはモニュメントに・・・碑は永六輔揮毫。
※撮影は2017年11月28日
下諏訪温泉にはコンクリートの大きなホテルがありません。小さな静かな温泉街です。
さて下諏訪を尋ねる散策はこれにてオワリです。
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