比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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鎌倉・・鶴岡八幡宮・・桜

2008-04-02 | 道をゆく 関東
久しぶりというより十数年ぶりにある老婦人をたずねて鎌倉に行ってきました。
よく晴れて桜も満開です。約束の時間より早く着いたので鶴岡八幡宮に行きました。

京都朱雀大路を模したといわれる若宮大路、鳥居が3つあります。写真は二の鳥居。ここから段葛といわれる桜のトンネルの中央参道が三の鳥居までつづき八幡宮境内に入ります。


有名な大銀杏。鎌倉幕府三代将軍源実朝が二代将軍頼家の子の公暁に暗殺(1219年)されたといわれる犯行現場です。犯人はこの銀杏の後ろに隠れていたといわれますがどう見ても隠れるような太さではありません。800年も前ですからいまより細いはずです。護衛のものも知らんプリを決め込んだ?キチガイに刃物を持たせたという図式が見えてきます。
かくして武家政府を拓いた源氏は三代で血筋が絶え幕府成立の黒幕である北条家が幕府の体制そのものチャッカリいただいちゃうという筋書き通りの結果になりました。つまり源頼朝からはじまって三代目まで北条家の傀儡(広告塔)ということだったのです。おまけに二代目、三代目はとても政局に対処するような器ではなかったのでしょう。いまの政界みたいですね。


本宮の中で御縁がありますように5円を奉納して、石段の上からいま来た道を振りかえります。すぐ下に静御前が舞ったとされる舞殿、三の鳥居、段葛がつづいています。霞んでいなければ由比ヶ浜の海が見えるはずです。


しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なす由もがな

1186年に源義経の内妻?静御前が義経の兄頼朝に捕らえられて鶴岡八幡宮の舞殿でこの歌を歌いながら舞ったという話が大河ドラマなどに出てきます。
この歌を聞いて頼朝が激怒したといわれますが何で激怒したか意味がわかりません。癇症持ちかパラノイア的(偏執症)人間だったのでしょうか。今でもよくいるんですよ、こういう人間が。

しず・・倭文・・麻織物の種類らしいです。
おだまき・・わかる人はいないでしょう。山野草ではありません。写真の糸車です。昔は養蚕農家にはあったものです。

ここまでわかってもまだ意味がわかりません。
しず」は「」とも。暗に「この賎しいやつめ」と静御前が頼朝を嘲ったともいわれます。考えすぎでしょう。

それにしてもこの舞殿は12世紀の終わりごろにはまだ建立されていなかったといいますからナゾは深まります。

そのご静御前は頼朝の怒りに触れて斬首ということになりますが政子夫人のとりなしで助命されて腹の子は出産と同時に由比ヶ浜に投げ込まれ、自身は京都に送られたといわれますが定かではありません。全国あちらこちらに「静御前」立ち寄りの場所やお墓があるそうです。
散歩は続きます

なお鎌倉を訪れた日は4月1日。歴史的考察はエイプリルフールと解釈してください。


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