1945年8月30日、連合軍(GHQ)司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。
高級軍人のフォーマルな礼装軍服ではなくノーマルな戦闘時の木綿の軍服、コーンパイプを咥えて。
マッカーサー元帥は日本が用意したアメリカ製の高級車リンカーン(8月14日自決した阿南陸軍大臣の公用舎であった)に乗って横浜へ。GHQ司令官執務室は横浜税関税関長室。宿舎は横浜グランドホテル。
元帥とともに将官たちはは日本側の用意した乗用車、バス、トラックに分乗して国道を進んだ。昨日までの敵地に乗り込んだのであるから緊張したに違いない。
日本側は厚木基地に待機した除隊前の日本兵30000人が警備のため厚木から横浜まで、軍装して一行の行列の走る国道に背を向け並んだという。
9月2日、東京湾上、米戦艦ミズリー号において降伏調印式・・・日本の正式な敗戦はこの日。
9月19日、GHQ本部は東京丸の内の第一生命ビルに移り、横浜は米軍第8司令部本部に。BC戦犯裁判は横浜で行われることになった。
マッカーサー元帥の上陸前、8月21日米軍は日本政府に上陸計画通達、将兵の宿舎、車輛の調達などを要求。8月26日厚木飛行場に先遣隊、8月28日横須賀に海兵隊上陸。日本は厚木に30000人、三浦半島に100000人の将兵が未除隊のまま待機、徹底抗戦を叫ぶ将校もいたが、政府の必死の工作で平静に上陸作業は進められた。
マッカーサー元帥一行の厚木から横浜までの移動を警備の日本兵や沿道の人たちはどのような気持ちで見たか・・・知る由もない。
74年前、もはや歴史の1ページであるが日本は戦争に負けたんだということをイヤというほど知ってほしい。
戦争はゲームではない。終わったとき「ノーサイド」なんて言ってニコヤカに握手することなんてありえない。負けた方は惨めだ。
日本はエネルギー資源も鉱物資源も無い。食料自給率は40%を割っている。国土は島国で山岳部がほとんど、狭くて逃げ場がない。資源は人の命しかない。
どう考えても自力で戦争をできる国ではない。それはあの戦争で実証済みだ。
どこかの国に丸ががえしてもらって油も兵器もそろえる。有料だ。その金は?・・どこかの国がいつ態度を変えるかわからない。
今度、戦争をやったら勝っても負けても放射能まみれになります。
どうしたらいいだろう・・・それはこれからの人が考えることだ。
高級軍人のフォーマルな礼装軍服ではなくノーマルな戦闘時の木綿の軍服、コーンパイプを咥えて。
マッカーサー元帥は日本が用意したアメリカ製の高級車リンカーン(8月14日自決した阿南陸軍大臣の公用舎であった)に乗って横浜へ。GHQ司令官執務室は横浜税関税関長室。宿舎は横浜グランドホテル。
元帥とともに将官たちはは日本側の用意した乗用車、バス、トラックに分乗して国道を進んだ。昨日までの敵地に乗り込んだのであるから緊張したに違いない。
日本側は厚木基地に待機した除隊前の日本兵30000人が警備のため厚木から横浜まで、軍装して一行の行列の走る国道に背を向け並んだという。
9月2日、東京湾上、米戦艦ミズリー号において降伏調印式・・・日本の正式な敗戦はこの日。
9月19日、GHQ本部は東京丸の内の第一生命ビルに移り、横浜は米軍第8司令部本部に。BC戦犯裁判は横浜で行われることになった。
マッカーサー元帥の上陸前、8月21日米軍は日本政府に上陸計画通達、将兵の宿舎、車輛の調達などを要求。8月26日厚木飛行場に先遣隊、8月28日横須賀に海兵隊上陸。日本は厚木に30000人、三浦半島に100000人の将兵が未除隊のまま待機、徹底抗戦を叫ぶ将校もいたが、政府の必死の工作で平静に上陸作業は進められた。
マッカーサー元帥一行の厚木から横浜までの移動を警備の日本兵や沿道の人たちはどのような気持ちで見たか・・・知る由もない。
74年前、もはや歴史の1ページであるが日本は戦争に負けたんだということをイヤというほど知ってほしい。
戦争はゲームではない。終わったとき「ノーサイド」なんて言ってニコヤカに握手することなんてありえない。負けた方は惨めだ。
日本はエネルギー資源も鉱物資源も無い。食料自給率は40%を割っている。国土は島国で山岳部がほとんど、狭くて逃げ場がない。資源は人の命しかない。
どう考えても自力で戦争をできる国ではない。それはあの戦争で実証済みだ。
どこかの国に丸ががえしてもらって油も兵器もそろえる。有料だ。その金は?・・どこかの国がいつ態度を変えるかわからない。
今度、戦争をやったら勝っても負けても放射能まみれになります。
どうしたらいいだろう・・・それはこれからの人が考えることだ。
※コメント欄オープン。
≫・・・・・・・・、国土は狭く逃げ場がない。資源は人の命しかない。
どう考えても自力で戦争をできる国ではない。
それはあの戦争で実証済みだ。
戦後を生き抜いてきた人たちからのお話、聞き伝え、語り部・・・・。
5,000通もの投書が集まったという。
NHKラジオ深夜便・戦後の思い出
https://www.nhk.or.jp/shinyabin/program/od/a3_3.html
≪1週間ほどで音声が自然に消えます≫
5,000通 ➡ 2,000通 の間違いでした。
訂正します。
内容が少々長いです。適当に・・・・。
前事不忘 後事之師
歴史はしばしば捏造されるが、ひとりひとりの体験を記録することで真実が残される。
以下はオノマ@1942年1月満州生まれの実感です
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ソ連が攻め込んでくることを知り、いち早く満州から逃げ出した関東軍、官僚やその身内。(知る由もなく)あとに残されたその他大勢。その他大勢のあさましい姿をみた幼児・オノマ
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自衛隊が国民をまもるとか、大人が子供を守るとかは平時の建前、「やってる感」首相のたわごとでしかありません
★
財閥系銀行とアメリカ系企業に勤務しての実感:日本人は戦争に向いていません。戦略、戦術、工夫、効率、段取り・・いずれも劣っています。霞が関官僚は民間人より劣ります。どこと戦争をやっても勝てません
8月6日、9日、15日・・・実感していなくても歴史として感じてほしい。
多くのブログを見ましたが、このことに触れたのブログは5本の指に入るくらいの数でした。無関心です。
たまに右翼っぽいブログを見ますが、不思議ですね。「戦争しましょうよ」という坊やの理論と同じくらい幼稚です。
多くの人に自分の頭で考えてもらいたい。
コメントありがとうございました。