比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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フォトアルバム…春三月…雪の釧路の思い出…松浦武四郎

2012-12-24 | 道を行く 北海道
今年3月5日、羅臼から釧路へ。午後釧路市街を散歩、春3月というのにその夜は雪、よく6日も朝から雪、雪降る中、幣舞橋あたりを早朝散歩。釧路川に水鳥が見える。幣舞橋を渡り、啄木の像、松浦武四郎の像を見る。
雪の北海道…釧路…ランプと炉端の煙もうもうの居酒屋の中で飲むビール、お酒、お魚が美味い。

春三月…雪の釧路の思い出



さて、フォトアルバムの中に松浦武四郎の像が出てくるが、この話を少ししたい。

松浦武四郎・・・ほとんどの人が知らないかも。
石狩、十勝、釧路、根室・・・アイヌが呼んだ土地の名前を日本語の表音文字にして明治新政府に認めさせた人。
「北海道」・・・この名前も松浦武四郎の建議によるものといわれます。

3月6日釧路、朝、深々と雪が降る。ホテルを出て幣舞橋を渡り釧路川に沿って石川啄木のブロンズのある港文館まで歩き引き返してふたたび幣舞橋に、このへんに松浦武四郎の碑があるはず、雪掻きをしていたおじさんにそのことを聞くとよくわからない。坂の上を指差し、
「あそこかな」

ロータリー交差点のトンネルをくぐり階段(出世坂?)を登る。
ぬさまい公園・・・雪が降り積もり足跡もない。足首まで埋まる雪の中を歩く(物好きなやつだ)。防水のトレッキングシューズを履いてきてよかった。
河岸段丘の丘の上、釧路川を見下ろすようにして・・・釧路川、幣舞橋、北大通りが見える。
「松浦武四郎蝦夷地探検像」・・・が見つかった。


佐江衆一著北海道人
     (新人物往来社 1999年刊)

像は1958年建立・・・武四郎はその100年前の1858年3月、3度目の釧路の地を踏んでいる。
当時の釧路は松前藩クスリ場所・・・武四郎は「久摺日誌」を残している。


寒いです。雪が降り続いています。モノクロームの世界です。
公園の入り口あたりに原田康子の小説「挽歌」の一節を刻んだ文学碑があると知ったのはのちのこと。


《薀蓄》松浦武四郎…1818~1888年、伊勢国一志郡須川村(現松阪市)の農家の出。御師、僧籍、国学者、篆刻家、本草学者、民俗学者、地理学者、浮世絵師、登山家、探検家、さまざまな顔を持つ。青年のころ京都、江戸、中部山岳、中四国、九州、東北を歩く。27歳で帰郷するがふたたび旅立ち、28歳で鰍沢より松前に、以後42歳までに6度蝦夷地を踏み、樺太、択捉まで及んだ。「久摺日誌」他、多く日記で蝦夷地の考察文を残し、特に松前藩の場所請負人がアイヌに対して暴虐な扱いをしていることを糾弾している(場所請負松前藩が統治する場所を民間に丸投げにして収益のみをとっていた制度…すべてではないであろうが領民に対して奴隷的な搾取をしていた請負人がいたという)。
38歳,幕府御雇い、維新後、新政府の函館府開拓判官として採用される。現在の北海道に地名のほとんどはアイヌの言葉を表音文字にしたものであり、松浦武四郎の建議といわれる。
地名とは先祖の残した文化遺産である。


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