『はじめてのおつかい』というテレビ番組がある。
保育、幼稚園児ほどの我が子に、
初めての買い物をさせてみようというもので、
その一部始終を隠しカメラで追っていく。
言いつけられた物を忘れ、違う物を買ってきたり、
つい道草を食ってなかなか店にたどり着けずハラハラさせたりと、
おつかいの中で起きるさまざまなトラブルに
幼い子たちが取る行動に和まされる、
ほのぼの感たっぷりの番組なのである。
そこらが人気なのであろう、不定期ながら30年も続いているそうだ。
僕の『はじめてのおつかい』は、小学3、4年生、
10歳前後だったと思う。
母から風呂敷を袋状にした入れ物、それからお金、
確か500円だったと思うが、それを持たされ
「米を買ってきてちょうだい」と言いつけられた。
その米というのは闇米であり、それを一升買ってこいというのである。
母は「あそこの路地裏にお爺さんとお婆さんが2人住んでおられるから」
と道順を教え、「一升くださいとだけ言えば、
ちゃんと売ってくれるからね。
お金、落とさないよう気をつけて……」と付け加えた。
僕の10歳前後の時代というのは、朝鮮戦争特需があっという間に消え、
次の経済成長までの不況期である。
我が家は食べるものにも事欠いた、そんな記憶ばかりだ。
まだ、米穀配給通帳があったが、
今みたいなホカホカの白ご飯を食べられることはまずなかった。
お粥状のものであったり、芋や麦の中に
米が少しだけ入ったものがほとんどだった。
しかも我が家は、男の子4人、女の子2人、
これに両親を加えて8人家族だ。
さらに言えば、上の兄2人は20歳を過ぎ、
姉2人も思春期の食べ盛りだった。
8人が円卓を囲めば、大皿に盛ったなにがしかのおかずは
あっという間になくなり、末っ子の僕なんか、
うかうかしていると食いはぐれてしまう。
そんな家庭が配給米だけで足りるはずがない。
父親の給料日になると、母は決まって僕を呼び、
風呂敷の袋とお金を持たせた。
薄暗い路地を通り、どこにでもあるような家の戸を
「こんにちは」と言って開ければ、お爺さんが
「ホイホイ、よく来たね。いつもの通り一升だね」と出迎えてくれる。
側にいたお婆さんが「ちょっとおまけしときなさいよ」と愛想を見せると、
お爺さんは米二つかみのおまけである。
夕の食卓を思い浮かべながら、
僕は足取り軽く路地裏を通り抜けていった。