「選手を殴ったら強くなる」が「正しい」のは「殴られた選手が強くなった」からです。たとえ「100人殴られてそのうち1人だけが“金メダル”」でも、これは「殴ったことの成功例」と言えます(そう強く主張する人が登場します)。99人の“犠牲者(無駄に殴られた人)”がいてもね。
では、女子選手が100人強姦されてその内一人でも“金メダル”だったら、「強姦をされたら強くなる」は「選手を強くするための正しい方法」となるのでしょうか? そういえば“それ”を実践した柔道指導者もいましたっけ。
【ただいま読書中】『性と柔 ──女子柔道史から問う』溝口紀子 著、 河出書房新社、2013年、1400円(税別)
女子柔道について知ると、そこから「柔道」「日本社会」について何かが見えてくるかもしれません。そういった期待で本書を手に取りました。
まずは「柔道正史」。明治時代には様々な流派の「柔術」が存在しました。そこに嘉納治五郎が登場、各流派を撃破することで統一し「柔道」として集大成、それが「講道館柔道」として今に伝えられます。なんとも美しいストーリーです。
ただ「各流派を撃破」のところで私はひっかかります。これって言わば「異種格闘技戦」です。当時の「柔術」には当て身を主な技とする空手のような流派もありました。たしかに「柔道の達人」が空手の大会に参加して連戦連勝、という話は『空手バカ一代』にありましたが、この極真空手の大会は「顔面と急所へのパンチは禁止」ルールです。明治時代の「チャンピオンベルト統一戦」でそんな“紳士的(スポーツ的)”なルールがあったのでしょうか……というか、あったのでしょうね。今の「柔道」のルールが。ただこれだと、「当て身主体の柔術」に「当て身禁止」の“ルール”を押しつけることになります。それだとそちらには勝ち目はありません。……なんだか「ストーリーの美しさ」が少し減じたような気がします。
1877年西南戦争で警視庁抜刀隊が活躍したことから武道が見直され、79年に新設された巡査教習所では武道(撃剣、居合、柔術)が教えられるようになります。警視庁独自の武術が誕生し、(講道館とは別個の)段位認定が行われました。
明治中期、旧制高校でも柔道が盛んとなりました。ただ3年で柔道を習得しなければならないため、寝技主体のルールで「高専柔道」と呼ばれる独特の戦い方となっています。その中で、講道館が捨てた絞め技や関節技が“再発見”されています。立ち技中心の講道館はその動きに危機感を抱き、ルール統一を強行します。
戦前には「柔道」には二つの大きな団体がありました。一つはもちろん講道館。もう一つは政府が関係した財団法人大日本武徳会です。武徳会の設立目的は、国威発揚のための武道振興でした。戦時色が濃くなるにつれ、文部省は国体護持のための武道教育を推進します。敗戦後、公職追放が行われ、武徳会は解散させられます。講道館は民間組織なので生き残りました。ここで興味深いのは、公職追放となった武徳会関係者で、柔道指導のために渡欧した人たちがいることです。
柔道の国際化は同時に「他の格闘技の技の流入」も意味していました。特にレスリングやサンボの影響は大きく、最近は柔道の組み手自体が日本固有のものとは変化してきています。これは日本で「柔道」ができるときに各種の「柔術」の技を取り入れたことの再現です。ただ「日本柔道こそ正当」というイデオロギーは「新しい国際柔道」を認知することを拒みます。そのために日本柔道は国際柔道に対応が遅れてしまったのです。
著者は日本柔道の「勝利至上主義」を問題視しています。「勝利」に無関係な「柔の道」が見捨てられたのではないか、と。オリンピックの銀メダリストが問題視するということは、相当なことです。そしてここからいよいよ本書の本題「女性柔道の歴史」が始まります。もっともここまでの「柔道の歴史」だけでも目から鱗だったので、もう何があっても驚かないぞ、と私は丹田に力を入れます。すると出てくるのは1873年の浮世絵。やっぱり素直に驚きましょう。柔術の興業試合(見世物)に女性柔術家も参加しているのです。さらに、女性柔術家が男性柔術家と試合をして殺された、なんて事件もあります。講道館にも女子部がありましたが、嘉納治五郎直轄部門で、試合は禁止されていました。健康法や護身術であり、「勝利至上」ではなかったのです。武徳会にも女性がいましたが、こちらは男性と試合をし、昇段試験を受けることもできました。その動きから講道館も女性の有段者を認めますが、その試験は「形」や「推薦」によるものでした。(武徳会の「女性の黒帯」は「黒帯」でしたが、講道館は「白線入りの黒帯」でした)
20世紀初め、欧米に広がった「JUDO」は女性にも広まっていきました。そこでは、講道館とは違って、男女が組み合うことも平気で行われていました。これは「柔の理(柔よく剛を制する、小よく大を制する)」が「ジェンダー・フリー」を実現するためのツールとして欧米社会に取り入れられたからです。ところが“本家”である日本では女性は“隔離”されていました。
それでも「柔道をしたい女性」は次から次へと登場します。それらの人々は、男性からの蔑視・差別に耐え、同性の女性から足を引っ張られ、それでも“開拓者”として進みます。世界では次々「女子柔道選手権大会」が開催され、1976年には国際柔道連盟が女子柔道の試合審判規定を策定します。日本もそれを放置できず、77年に女子規定を制定しますが……これが国際的には通用しないなんとも奇妙な“ルール”でした。以後10年間、この“ルール”が日本女子選手の“手”を縛ることになります。1980年に開催された第1回世界女子柔道選手権大会は(この開催までの物語もまた紆余曲折で大変興味深い展開です)、日本選手には辛い経験でした。ただ、日本では女子柔道“ブーム”が起きます(「女姿三四郎」の山口さんのことを私も覚えています)。
そして「パワハラ・暴力告発」。さらには「セクハラ事件」。メディアが動かないと全柔連は動きません。「勝利至上」の「男性組織」は、少々のことには動じなかったのです。ただ、本書の最後「スポーツとエロス」の章は、男ではなかなか言いにくいことをわりときれいにまとめていると感じます。本当は「エロス」から不自然に目をそらして抑圧するのではなくて、そこに存在することを認めた上でフェアにスポーツを楽しむ方がよほど「健全」なんですけどね。