「飛ぶ」と「跳ぶ」といった漢字のことです。こういった同訓異字の使い分けについてテレビでちらっと言っていたのですが、アンケートでは「75%の人が異字同訓の使い分けで迷うことがある」のだそうです。「そうそう、迷うことがあるよね」と思ってから、「残りの25%の人」はすげえな、と思いました。迷いがないわけですから。ただ、これって「迷わずに正しく書けている」のかもしれませんが「間違っていても全然気にならない」のかもしれませんね。こういった自己申告のアンケートって、内容の判断が難しくて判断に迷います。
【ただいま読書中】『なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか ──勝利は綺麗なお辞儀から』原千代江 著、 小学館、2013年、1200円(税別)
「なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか」の前に「競馬学校というものがあったのか」「競馬学校には茶道教室があるのか」で驚いている、私です。
1982年に設立されたJRA競馬学校には「茶道教室」が設けられ、著者はその教師として声をかけられます。競馬学校で茶道? 当然著者も不思議に思って聞きます。すると、中学校を卒業して厳しい世界の飛び込んできた生徒たちに、当時の寮では間食も禁止されていたから、せめてお菓子を授業の中で堂々と食べさせてやりたい、という“親心”だと。「茶道をなんだと思っているのですか」と席を立ってもおかしくないでしょうが、著者は(自分で不思議なことに)その話を受けます。初めて出会った子供たちのきらきら輝く眼との「一期一会」が著者にその決心をさせたのかもしれません。
著者が生徒たちに伝えたいのは、礼儀(将来大人になったときの準備)・自然を愛でる態度(真剣勝負の時のゆとり)・日本文化(将来海外に行ったときに役立つ)・正座(自然で無理のない座り方は自然で無理のないフォームに通じる)・綺麗なお辞儀(馬上からでも綺麗に挨拶できる)……あらあら、茶道は騎手に“必要なもの”だったようです。卒業生にアンケートを採っても、みな「お茶は残してくれ」と言うのだそうです。だから、1年契約の“非常勤講師”のはずが、いつの間にか30年を越えてしまっています。体がしんどくなってお茶の稽古を減らすとき、一般人用の教室と競馬学校の二択になったら、競馬学校の方を著者は残しました。それだけの強い思い入れが、著者にはあるようです。そして、本書にはその思い入れが結晶しています。まるで、著者から生徒たちへのラブレターのように。
茶道教室から“子供たち”あるいはその子供の“孫たち”を見つめ続けている著者の姿に、私は不思議な雰囲気を感じます。競馬というのは、馬のレースだ、と思っていたのですが、そこには私が全然知らない別の、それも魅力的な物語が埋まっていたんだな。