昔の歌は伝播するにつれて少しずつ変遷しました。たとえば私が学生時代に好きだったブラザースフォアの「グリーンスリーブス」は、ルネサンス期の楽譜では主題は同じですが細部はけっこう違った形になっています。では私が見たルネサンス期のものが「原曲」かと言えば、たぶん違うでしょう。それはたまたま楽譜に残されたバージョンであって、他にも色々なバリエーションが各地で即興を交えながら演奏されていたはずです。
ただし私個人としては、最初に出会ったブラザースフォアの版が個人的には“最古のもの”なので、あれが「原曲」で他はすべて「バリエーション」としたいところです。学者さんには許してもらえないでしょうけれど。
【ただいま読書中】『仰げば尊し ──幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡』櫻井雅人、ヘルマン・ゴチェフスキ、安田寛 著、 東京堂出版、2015年、3500円(税別)
明治15年(1882)~17年(1884)にかけて、文部省は毎年1編ずつ『小学唱歌集』を出版しました。全部で91曲ですが、実は最近までその過半数は原曲が不明でした。ところがその「データ不足状態」で小学唱歌集の“ルーツ”について「スコットランド民謡説」「賛美歌説」「音楽教科書の唱歌説」が鼎立して争っていました。ところが2011年本書の著者のひとり櫻井が「仰げば尊し」の原曲の楽譜を発見します。そこから「仰げば尊し」だけではなくて「小学唱歌集」さらには日本の西洋音楽の歴史についての新たな探求の旅が始まりました。
櫻井は「仰げば尊し」を求めて「スコットランド民謡」を数千曲、賛美歌集は最低2000点をチェックしました。だけどその中に「仰げば尊し」に似たものはありませんでした。調査の過程で著者は、『小学唱歌集』の原曲について、きちんとした調査をせず根拠を示さずに「自分の思い」だけで発言する人がやたらと多いことに気づきます。これまでの調査があまりに不備なため、櫻井は膨大な楽譜に実際に当たり続けることになります。似た旋律・替え歌・中身は同じでもタイトルが違う歌・民謡の賛美歌への転化……これは大変な作業です。10年間の調査で、『小学唱歌集』の他の曲の原曲は次々発見できましたが、「仰げば尊し」が見つかりません。しかし2011年1月、櫻井はアメリカの唱歌集「ソング・エコー」に出会います。そこでまず小学唱歌集の「鷹狩」の原曲を37ページに発見、さらに141ページに「Song for the Close of School」を発見したのでした。本書のカバーにその楽譜(4部合唱)がありますが、まさに「仰げば尊し」です。
さて、「原曲が見つかった、めでたしめでたし」だったら良いのですが、新たな謎が次々と。たとえば「どうしてこんなに見つけにくかったのか」「『ソング・エコー』とは一体何者か?」「どうしてこの歌が日本に?」……
さて、原曲の詳細な分析がありますが、さすが専門家、詳しい記述です。歌詞の脚韻の踏み方とか、旋律でホ長調の主音(相対音階での「ド」)の上で旋律が展開されて主音がなかなか出ないから旋律が「地に足がついていない印象を与える」とか、私は感心しながら読むばかりです。そうそう、西洋音楽では旋律が和声進行を最初から含んでいて、だから旋律しか与えられていなくても演奏者が即興で和声をつけることができる、というのは私にとっては新鮮な指摘でした(もちろん「死と乙女」(シューベルト)のような(後半部の冒頭、旋律は同じ音が連続するが、和声は7回変わる)例外もありますが)。
意外な曲もあります。小学唱歌集第23番「君が代」です。国歌の君が代と同じ歌詞です(+2番の歌詞もあります)が、旋律が違います。歌ってみたらけっこう良いメロディですが、歌詞と“波長”が合いません。だからこの曲はあまり歌われずに忘れられてしまったのでしょうね。
「仰げば尊し」の原曲発見がきっかけとなり、小学唱歌集のすべての歌の原曲が特定されることになってしまいました。人の熱意と時の勢いは、時々すごいことを達成してしまいます。
明治九年同志社英学校は「メーソンの国民音楽掛図」を購入しました。当時アメリカで音楽教育に広く使われていた教材で、教台に立てかける拡大版の音楽教科書、といった感じのものです。それによって「日本人に西洋の歌を歌わせるのは不可能」という“常識”が覆りました。文部省は「音楽掛図」を導入して日本語版を作り、さらにメーソン自身を日本に招聘します。メーソンは、音楽教育と同時にキリスト教伝道の意思もあったようで、小学唱歌集の選曲にも影響力を持っていたメーソンは多くの賛美歌も小学唱歌集に紛れ込ませています。もっとも日本人がそのことをどこまで理解していたかは不明ですが。
ただ、小学唱歌集で最大勢力を誇ったのは、民謡や賛美歌ではなくて、各国の音楽教科書などに載っていた唱歌でした。なるほど、だから「唱歌集」なのです。