【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

芸能人から一般人へ

2015-07-10 06:36:19 | Weblog

 ツイッギーが来日してミニスカートブームが起きる前は、ミニスカートをはくのは芸能人などに限られていました。茶髪も1970年代には女子プロボーラーとか芸能人などに限られていました。だけど今では一般人がそういった「かつては芸能人専用のもの」をふつうに「自分たちのもの」としています。
 もしかしたら最近流行しているキラキラネームもまた、かつての「芸名」を一般人が「自分たちのもの」としているのかもしれません。すると、“次”はなんでしょう?

【ただいま読書中】『女人哀歓 ──奈良・京都古寺巡礼』奈良本辰也 著、 伊庭一洋 写真、河出書房新社、1963年、700円

 いけばなの「小原流挿花」という月刊誌に連載された、日本女性史をからめた古寺巡礼記です。取り上げられているのは、大津京、秋篠寺、法華尼寺、平等院、室生寺など十五編。
 大津京で登場する女性は額田女王。大海人皇子との間に娘まで作っていたのに、天智天皇に召されて仲を引き裂かれた女性です。有名な、女王「茜さす紫野ゆき標野ゆき野守りは見ずや君が袖ふる」大海人皇子「紫草の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆえに吾恋ひめやも」のやりとりには今でもどきどきします。
 法華尼寺に登場するのは「横笛」という少女です。平家物語の、横笛に一目惚れをした齋藤時頼がつれなくされた苦しさから出家してしまい、それを知った横笛もまた仏門に入ってしまう、という物語。そこから著者の連想は光明子(の「千人の垢すりをする」という仏教説話)に飛びます。法華寺には「横笛堂」と「から風呂」があるのです。著者は、奈良時代という政治的にとても難しい時代に皇后であることの悲劇性(慈悲と忍辱)をその風呂のエピソードから感じています。
 「追分のあたり」では「かげろふ日記の作者」が登場します。夫の足が遠のき、その苦しさから逃れるように唐崎祓いを思い立った時、彼女は追分のあたりを通過しています。さらにその足跡を追って著者は長谷寺に向かいます。
 著者が見ているのは、ただの風景ではありません。そこには過去の日本が重ね合わされています。そして、書き記された文字の間に込められている女性たちの情念も、著者は風景の中から読み解こうとしています。ガリレオ・ガリレイは宇宙は数学の言葉で書かれている、と述べましたが、地球は文学の言葉で書かれている、と読むこともできるようです。