ユダヤ人に対する人種差別は「ヨーロッパの伝統」のはずですが、いまはナチスがすべての「罪」をかぶっているようです。でも、第二次世界大戦中にユダヤ人はドイツ本国よりもポーランドやフランスでの方がたくさん殺されたはず。そしてフランスでは、フランス人が熱心にその「仕事」を遂行したはずです。これはフランスにあった「ユダヤ人差別」がとっても大きなものだったからでしょう。ナチスはそれを実に上手に煽っただけだろう、と私は考えています。
ということは、現在のヨーロッパで「ユダヤ人差別」は、まだしっかり生き延びているのでしょうか? それとも別の人種に対する差別に形を変えている?
【ただいま読書中】『ドレフュス事件のなかの科学』菅野賢治 著、 青土社、2002年、3200円(税別)
ドレフュス事件の発端となった「明細書」では、筆跡鑑定が行われました。フランス銀行専属筆跡鑑定しアルフレッド・ゴベールは「ドレフュスの筆跡とは一致せず」、パリ警察司法人体測定課のアルフォンス・ベルティヨンは「完全に一致」と結論を出します。銀行がなぜ登場するかと言えば、小切手の筆跡鑑定のためです。意見が割れたので他の三人を加えての再鑑定では「別人」が2、「ほぼ一致」が2、「完全に一致」が1、でした。軍法会議は「2対3で“一致”」と結論します(5年後に「ほぼ一致」とした一人は「あれは間違いだった」と認めました)。しかし「完全に一致」としたベルティヨンの「論拠」は奇々怪々です。「証拠の明細書をドレフュスに口述筆記させ、筆跡が似ていたら有罪の証拠、似ていなければ(有罪を免れるために)わざと筆跡を変えた証拠、どちらにしてもドレフュスは有罪。ドレフュスが有罪である以上、筆跡鑑定の結論は『完全一致』となる」というのは、ひどくありません? 当時の筆相学は科学の一種のはずですが、いくらでも恣意的に運用できるものだったようです。
ドレフュス事件で冤罪を成立させるために権力が用いた手段は1)非合法の裁判手続き2)証拠書類の捏造・改竄・もみ消し3)反ユダヤ主義を標榜する新聞による情報操作、とされていますが、本書では4)科学・学術性について考えよう、としています。取り上げられるのは、筆相学、犯罪心理学、人体測定法、心理測定法などです。
ロンブローゾは『筆相学』(1895年)で「筆跡を見たら、犯罪者や精神異常者であるかどうかがわかる」と唱え、一部に熱狂的なファンを得ました。これは「筆跡鑑定」ではなくて、広義の心理学の一種です。
ベルティヨンは「統計学」「人類学」「骨相学」などの専門用語に取り巻かれて成長し、パリ警察で人体の様々なパラメーターを測定・記録することで、初犯者を装う再犯者を見抜く技術を磨きました(たまたま本人を見知った警官がいなければ、逮捕された人間の「自分はどこそこの誰誰で今回が初犯です」という申し立てを信じるしかなかった時代です)。当時の“ハイテク”であった写真も活用したこの「人体計測学」はフランス警察で活用され、アメリカにも1888年には導入されています。さらにベルティヨンは「カード」を活用しました。パリ国立図書館でさえカードによる分類を導入していなかった時代です。すごく先進的な人だったわけです。するとベルティヨンが「ドレフュスの筆跡鑑定」で見ようとしたのは「証拠の明細書をドレフュスが書いたかどうか」ではなくて「ドレフュスが、明細書のような内容の文章を書く人かどうか」だった、ということになりそうです。それを「筆跡」から鑑定しようというわけです。
「人体」を測定することでその内面を明らかにしよう、というのは、いかにも19世紀的な発想には見えます。だけどそういったへんてこりんな「科学」を私は笑えません。21世紀の今でも、血液型性格占いとかが流行しているのですから。そういえばドレフュス事件の時に大きな役割を扇情的な新聞が果たしましたが、21世紀の今それは扇情的なネット世論が果たしている、とも言えそうです。
人類は進歩しているのかな?