私が子供のころには「マグロ」と言えば「缶詰」でした。ツナ缶です。それが今では「高級魚」なんですから、ちょっと不思議な気がします。
【ただいま読書中】『近大マグロの奇跡 ──完全養殖成功への32年』林宏樹 著、 新潮文庫、2013年、490円(税別)
戦後右肩上がりを続けていた日本のマグロ類漁獲量は、1960年代に頭打ちとなりました。漁場開拓はほぼ終わり、各国がそれぞれの漁獲高を上げ始める時代でした。200海里経済水域も議論されるようになり、日本ではマグロ漁の将来に不安を感じる人もいました。そこでマグロ(特にクロマグロ)の養殖へのトライが始まりました。昭和45年(1970)のことです。
クロマグロ(一般にはホンマグロと呼ばれることもある)はマグロ属の中では最大の魚です。大きいものでは全長3m、重さ400kgを超えるものもいます。特徴は「一生泳ぎ続けること」。エラを自分で動かして海水を取り込むことができないため、泳ぎが止まるとエラから酸素が取り込めず、死んでしまうのです。遊泳速度は時速80km程度という高速です。
マグロ漁は縄文時代から行われていました。おそらく一本釣りや銛で突いていたのでしょう。江戸時代には定置網、明治には流し網が採用され、さらに日本独自の延縄漁が大正ころから発展しました。
江戸時代には「ヅケ」によってマグロの赤身の消費量が増えましたが、脂身の多いトロは腐りやすく商品価値はありませんでした(「猫またぎ」とも呼ばれたそうです)。しかし戦後の高度成長の中で、嗜好は変化し、トロは「高級品」になりました。そこでマグロの「畜養(海で穫ってきたマグロを生け簀で飼って太らせてから出荷)」が行われるようになりました。畜養がもっとも盛んなのは地中海です。
白浜にある近畿大学臨海実験所では「海を耕す」を理念として、まずハマチの養殖に取り組みました。そこでは「実学」も重視していて、育ったハマチを自分で大阪に売りに行きました。昭和33年には400万円も売り上げています。水産試験場と改名した臨海実験所は、その儲けで日本各地に実験所を開設していきました。そして卵の人工ふ化による「完全養殖」を、ヒラメ・ヘダイ・イシダイ・ブリと次々成功させました(どれも世界初です)。次の目標は、マグロです。
当時の畜養は、ある程度育った成魚を対象としていました。そこでまず稚魚から育てることに近大実験所は挑戦します。しかし、マグロの稚魚(ヨコワ)はとても弱く、ちょっと触っただけでも皮膚に傷がついて死んでしまいます。海水の酸素濃度が下がっても死ぬし、生け簀を暴風雨が襲っても死にます。4年間「全滅」が続きましたが、ヨコワの捕獲方法を工夫し、昭和49年に捕獲したヨコワの多くが1年以上生き残り、貴重なデータをもたらしました。
何とかヨコワの捕獲と養殖には成功しましたが、目標は「完全養殖」。ヨコワから育った成魚がついに産卵をします。卵を集めるとやがて孵化、何を飼料にすれば良いのかわかりませんが、とりあえず与えたものは食べました。しかしやがて全滅。また全滅。また全滅。さらに群れは産卵をしなくなります。何年も何年も。
時代はちょうどバブル絶頂期。近大水産研究所はマダイを売った儲けでクロマグロの研究を続けます。国際的にはクロマグロの規制が始まっていました。研究は熱を帯びます。
1994年クロマグロの群れがまた自然産卵を始めました。こんどこそ育て上げよう、と研究者たちは意気込みますが、そこにまたもや次々とトラブルが押し寄せます。孵化から246日目に最後の一匹が死亡(体長は42.8cmでした)。しかし研究者はあきらめません。飼料を変え生け簀の形を変え、あの手この手で稚魚を育てようとします。そして2002年についに養殖場生まれのクロマグロが産卵。「完全養殖」に成功です。しかも(実験レベルではなくて)産業レベルでの成功でした。2004年には初出荷。トロの比率が高くて味は評判となりました。しかも値段は天然ものの半額。魚肉に含まれる水銀も天然ものより少ないことがわかりました。
魚を家畜化することには、天然資源に負担をかけずにすむことのほかにも様々な利点があります。たとえば交配によって好ましい形質を持った魚種を生み出す、とか。また、稚魚の放流事業も始まりました。これは天然資源の回復につながるかもしれません。
世界中で穫れるクロマグロの8割は日本で消費されているそうです。そういえば回転鮨でも結構マグロやトロが流れています。だけど、そんなに食べてしまって良いのかな? 私個人としては、もしトロが好きだったら「少し我慢しよう」ということで“免罪”を勝ち取れそうですが、あいにくそこまでの好物ではないので、さて、何を我慢したら良いのやら。