東京ガスが電気も売るようになったと思ったら、東京電力もガスを売るようになったのだそうです。いっそ合併して「東京エネルギー販売会社」になったらどうでしょう?
【ただいま読書中】『戦争と浮世絵』日野原健司 著、 太田記念美術館 監修、洋泉社、2016年、2800円(税別)
「浮世絵」で私が連想するのは「江戸時代の風景画や人物画」です。要は「平和な絵画」。ところが源平合戦や戦国時代ものなどでも浮世絵は“活躍”していますし、さらに江戸時代だけではなくて、明治になっても浮世絵は生き残っていて、西南戦争・日清戦争・日露戦争などを題材にした浮世絵は多数制作されました。本書では「美術品」としての浮世絵だけではなくて、歴史資料+美術としての浮世絵を「戰争」というキーワードで見つめています。
一勇斎国雪という人の「蒙古合戦図」(元治元年(1864)頃)では、襲来した「蒙古軍」が「外輪船」です。思わず笑ってしまいますが、これは幕府の検閲(幕末の戰争や暗殺事件などを浮世絵にすることを禁止)をパスするために「蒙古軍」に仮託して「下関戦争」を描いた物なんだそうです。あまりに露骨なのでやっぱり“アウト”になりそうですが。河鍋暁斎の「風流蛙大合戦之図」では、蛙の軍隊が水鉄砲などで戦っているユーモラスな絵ですが、一軍には六葉葵(紀州徳川家の裏紋)、もう一軍には沢瀉(毛利家の紋)が描かれていて、長州征伐を描いていることがわかります。いやいや、いろんな工夫をするものです。
日本最後の内戦、西南戦争は7箇月も続きました。人々はニュースを渇望しましたが、写真はまだ報道では十分な機能を発揮できない時代で、そこを埋めたのが浮世絵でした。ただし浮世絵師は“従軍”したわけではなくて、新聞記事などを元に作品を制作しました。だから「正確性」や「即時性」は犠牲となっていましたが、「報道としての戦争画」という新しいジャンルを切り開きました。つまり顧客に「戦場の臨場感」を提供したわけです。
明治25年「最後の浮世絵師」月岡芳年が死亡。さらに木版画よりも西洋の影響を受けた石版画の方に人気が移り、浮世絵版画の人気に陰りが出ました。浮世絵師たちは戰争画に活路を求めます。写真は普及していましたが「戦場のその瞬間」を印画紙に固定するのはまだまだ困難です。その点絵画なら「臨場感」をたっぷり盛り込むことが可能です。そこに発生したのが日清戦争(明治27〜28年(1894〜95))。絵師たちはテクニックのすべてを浮世絵に注ぎ込みます。実際に「陰影」「精密度」「迫力」「リアルさ」などの点ですごい迫力があり、当時の読者は夢中になって見つめたのではないでしょうか。まあ、それほどでもない作品もありますが。
浮世絵人気は復活しましたが、それは一時のものでした。人々の興味はすぐに写真や絵葉書に移ってしまい、もう浮世絵には戻ってきませんでした。日露戦争でも「戰争画」が出版されていますが、勢いはありませんでした。
で、こういった浮世絵を見ていて「西洋式の軍服は、浮世絵には似合わないなあ」なんてことを私は思います。戰争をビジュアルに表現する手段の一つとして浮世絵が使われるのは当然だとは思いますが、私はやはり「平和な浮世絵」の方が好みです。