【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ステイホーム!

2021-08-06 07:42:46 | Weblog

 「GoToトラベル」とか「ステイホーム」とか、コロナ禍の日本ではなぜか命令口調が目立ちます。戒厳令とかロックダウンとか外出禁止命令とかの「命令」を公的には出せないからその代償手段ということでしょうか。
 ところでステイホームについて、元気な人は平気でお出かけをして、新型コロナ陽性になったのに入院先が見つからない人は自宅にいる(「ステイホーム」をしている)というのは、なんだか変な現象ではありませんか?

【ただいま読書中】『禁じられたベストセラー ──革命前のフランス人は何を読んでいたか』ロバート・ダーントン 著、 近藤朱蔵 訳、 新曜社、2005年、3800円(税別)

 「古典」ではなくて、実際に18世紀のフランス人が何を読んでいたかを明らかにできたら、彼らが何を考えていたかがわかり、その何が「革命」を引き起こしたかわかるかもしれない、という発想から書かれた本です。発想自体はすごく自然ですね。というか、これまでにもそういった研究はありました。著者の“オリジナリティー”は「非合法出版物」に注目したところです。
 18世紀のフランスで出版物は「王室検閲官」「警察(パリ警視総監下の出版監督官)」「ギルド(書籍商と印刷業者組合による検査)」によってがちがちに縛られていました。しかしその「独占」の裏をかく手はありました。国外で印刷しての密輸入です(冷戦下で鉄のカーテンの向こう側に“西”のベストセラー(やソ連で発禁となった書物)がこっそり持ち込まれたことを私は思い出します)。フランス国境のすぐ外側に何十という出版社が出現してせっせと印刷、それを地下組織で国内に持ち込みました。フランス政府は、はじめは非合法出版物を絶滅させようとしましたが、それが不可能と悟ると、「合法」の基準を少しずつ緩めて「現実」を追認し始めました。それは「アンシャン・レジームの正統的な価値観」の弱体化でした。
 「書物」は「コミュニケーションというシステムの一部」です。著者・出版者・印刷業者・書籍商・読者は書物によってつながれます。また書物は、ゴシップ・噂話・冗談・歌・落書き・ポスター・手紙・新聞などが溢れた社会の中を流通し、お互いに影響を与え合います。それは「世論」形成の一助となっていますが、それが最終的にフランス革命につながるかどうか、さあ、著者のお手並み拝見です。何しろ、これまで誰も研究したことがない分野の大量の本を25年にわたって研究したのですから、何かが発見されることは間違いありません。
 1771年からパリ書籍商組合ではパリ市税関で押収された書籍すべてを記録していました。はじめは「禁書(押収または破壊されるべき)」「許可されない(送り手に返却されることもある)」「海賊本(本来の特権を持つ書籍商の利益のために売られるべき)」の三種類に分類されていましたが、分類はどんどん複雑になり、最終的には3544項目からなる「崩壊した分類システム」になってしまいました。
 禁書を流通させる側からは分類は簡単です。合法と非合法。そして非合法な本は隠語で「哲学書」と呼ばれていました。そのリスト自体も秘密にされ“マントの下”で取引されました。「哲学書」の値段は合法的な書物より高く、さらに流通状況によって乱高下したため、投機の対象にもなりました。だから「秘密のリスト」には値段は印刷されておらず、最新の価格が手書きで追加されていました。
 18世紀のフランスの書籍市場は、今とはずいぶんシステムが違います。著者が調査したスイスのSTNという大手の出版社は、フランスに密輸する「哲学書」を自分で印刷するリスクを負わずに自分たちが出版した合法書籍を「哲学書」と物々交換して在庫を揃え、フランスの書籍商からの注文に応じて出荷していました。交換のレートは「紙の枚数」と「危険度」で決定されました。そしてこの物々交換システムは、他の出版者も行っていました。そして著者は「フランスからの注文書」に「フランスの人々が何を求めている(と地元の書籍商が感じている)か」を見ます。その注文書の束(5万通の手紙)の他に著者はパリ税関で押収された「哲学書」のリストや警察の手入れで押収された本のリストなども調査します。地道で退屈で目が疲れる作業です。しかしそういった研究で、著者は革命前のフランスで売り買いされた非合法文学の“ベストセラー”リストを作りました。そこで浮かび上がったのは「覗き見の視点」の重要性です。それは「セックス場面を覗く人物(を覗く読者)」だけではなくて「王室などのスキャンダルを覗く」ことも可能にしました。そこに書かれている教会や王室の赤裸々な姿が真実かどうかは別として、人々はそれまで不可視だった支配者の世界を“覗く”ことで、「自分たちの生活が妥当なものかどうか」についても考えることができるようになったのです。
 こういった話の場合、私はついつい「書物の内容」にだけ注目してしまいます。しかし著者は「流通における経費の重要性」や「判型」についても見逃しません。たとえばその頃の宗教書は基本的にフォリオ判(約42cm×54cm)の扱いにくい大きさでした。しかし無神論などの非合法書籍は「ポケットに入る大きさ」だったのです。そして値段も中産階級と職人や商店主の上層部の購買力におさまるように設定されていました。論文は真っ正面から正当神学に論争を仕掛けていましたが、それほどまじめではない作品群(風刺、論争、宗教的ポルノなど)は後ろから宗教を“狙撃”し続けていました。
 そして、これらの「ベストセラー作家」の名前は「正統な歴史」には残されていません。でも「歴史」はそういったものからも構成されているのです。