【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

えっせんしゃるわーかー

2021-11-15 06:53:16 | Weblog

 コロナ禍になって「良かったこと」もいくつかありますが、その一つが「エッセンシャル・ワーカー」という言葉の登場でしょう。これまで世間が無視していた人たちがいないとこの社会が回らないことに気がついた、ということですから。ただ、気がついただけで、高く評価する動きにつながらないのは、もどかしいものです。彼らの働きに自分たちの生活が依存している癖に、彼らを軽蔑するって、変じゃないです? 映画「おくりびと」で納棺師の仕事について多くの人が知ることになったように、たとえばごみ収集の現場についての映画が作れませんかねえ。「この社会」の裏側がよく見えるのではないか、と思うのですが。

【ただいま読書中】『ごみ収集とまちづくり ──清掃の現場から考える地方自治』藤井誠一郎 著、 朝日新聞出版、2021年、1500円(税別)

 『ごみ収集という仕事 ──清掃車に乗って考えた地方自治』(藤井誠一郎、2018年)の“続編"です。
 ごみ収集員がどんなに配慮してごみ収集をしているのか、そのプロ意識に頭が下がります。それに対して、ゴミを出す側の無神経さに腹が立ちます。わがままばかり言っている人とか傲慢な人って、一度収集体験をしてみたら良いと思うんですよね。小学校や中学校の職場体験なんかで、実際に集めないにしても、ゴミがどんな出し方をされているかを実際に見て回る、という体験をするのも良いのではないかなあ。
 本書では「行政改革」の問題点が鋭く指摘されています。「行革」を「人減らし」と勘違いしている為政者は、容赦なくごみ収集のリソースも削ります。でも現場は「頑張ってしまう」。ゴミの取り残しなどは恥だと思っているから、とにかく身を削って頑張ってしまう。すると為政者は「減らしてもできるじゃないか。だったらもっと減らそう」となります。だけどその「無理な頑張り」はいつか破綻をもたらすことになるのです。現場を知らない人間が机上の空論や思いつきで「改革」をするのではなくて、ちゃんと現場を知った上での提案をするようになったら良いんですけどね。
 面白いのは、戸別収集は収集する側には大変なのですが(数軒分がまとまっている方が収集効率は良くなります)、住民のゴミの分別などの意識は高まるそうです(可燃物の日に不燃物を出したりすると収集されずにそこに残されるので、「あの家はきちんと分別をしない」と近所から見られてしまうのです)。ゴミがきちんと出せるかどうかには、その地域の民度が反映されているのでしょうね。
 そしてコロナ。東京都北区の清掃現場でコロナ感染者が出たときには、皆が休み返上で出勤してなんとか業務を回したそうです。しかも「巣ごもり生活」をした人の多くが「家の中の片付け」をしたようで、その分ゴミの排出量は増えていました。皆さん、自分の家から出たゴミの行方については、興味も関心もないようです。さらに「使用後のマスク」が大量にむき出してゴミ集積場に捨ててあったり。これ、「感染者が使用したもの」だったら清掃従事者に感染リスクを押しつけることになります。「感染者ではない人が使用したもの」であっても、それがどうだかわからない清掃従事者は感染の恐怖と戦いながらゴミを収集することになります。
 クラスターが発生した老人ホームでのごみ収集も、恐怖体験です。それでなくても大量の紙オムツ(本当は汚物は洗い流してからゴミに出すことになっているのですが、それを守る人はほとんどいません)を集めるときに汚物をかぶってしまったりするリスクがある作業なのですが、こんどはそこに「コロナ感染のリスク」が加わったのです。
 「医療崩壊」については、第4波や第5波で注目されるようになりました。しかし「清掃崩壊」についても気にしておいた方が良さそうです。とりあえず私にできることは「ゴミの減量」かな。

 



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