【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

優しさ/『ぼくには数字が風景に見える』

2009-07-07 18:40:49 | Weblog
 いつでも本気で怒れるという余裕の裏付けがあれば、人はいくらでも優しくなれそうです。

【ただいま読書中】
ぼくには数字が風景に見える』ダニエル・タメット 著、 古屋美登里 訳、 講談社、2007年、1700円(税別)

 著者は、数字を見ると色や形や感情が浮かんでくる「共感覚」とサヴァン症候群とアスペルガー症候群と側頭葉てんかんをもっています。
 自閉症スペクトラム(英国の概念で、日本だと「広汎性発達障害」)によって著者は、他者との関りや新しいことへの順応が苦手で、全体よりも細部に集中し(だから話の全体像をつかみにくいし迷子になりやすい)、言葉を文字通りに捉え、騒音に弱く、パニックに陥りやすい、という「扱いにくい」子どもでした。周囲も著者への対応には苦慮したようですが、まだアスペルガーや高機能自閉症という概念が無い時代に、両親や保育園が、決して最善とは言えないにしても少なくとも有害ではない対応を続けたのにはこちらが驚きます。そして、それらのことを細かく覚えている著者の驚異の記憶力にも。
 彼が数字を見るとこうなります。「1という数字は明るく輝く白で、懐中電灯で目を照らされたような感じ。5は雷鳴、あるいは岩に当たって砕ける波の音。37はポリッジ(お粥)のようにぽつぽつしているし、89は舞い落ちる雪に見える。333のようにきれいな数字もあるし、289のように見映えのよくない数字もある。素数はつるつるした形だからすぐにそれが素数だとわかる」
 かけ算も彼はイメージで行います。たとえば53×131は「53のイメージ」と「131のイメージ」の間の空間の形がその答えだそうです。
 さらに言語ではこうなります。「ladderは青く輝いているが、hoopという言葉は柔らかくて白い。フランス語のjardin(庭)はぼんやりした黄色で、アイスランド語のhnugginn(悲しみ)は白地に小さな青い水玉模様がたくさんついている」。共感覚によってこういった言葉からイメージする色と感情が意味とつながることで、著者は十ヶ国語を習得したそうです。
 著者はチェスにも才能を発揮しますが、人間相手の場合にはいわゆる感情的な揺さぶりをかけられると容易に動揺するため、実力を発揮することができませんでした。コンピューターを使っての対戦だったらすごいところに行けたかもしれませんが。
 18歳のとき、著者はボランティアとしてリトアニアに派遣されます。仕事はリトアニア人に英語を教えること。そこで著者は一人暮らしができるようになり、人付き合い(友情)とリトアニア語を学びます。さらに「自分が他人と違っていること」も。これは著者にとって非常に大きな進歩でした。人生の新しいステージに進んだのです。さらに「人と違っている」ことが利点であることも著者は知ります。著者はさらに愛も見つけます。そして自宅でできる仕事も見つけます(ウェブ上での語学学習サイトです)。さらに著者は、彼独自の言語「マンティ」まで作り始めます。その言葉で考えたり話したりすると、言葉で色を塗っている気持ちになるのだそうです。
 著者は、共感覚は皆が持っている、と言います。皆が持っているからこそ、たとえば擬音語が成立するのだ、と。いや、これは目から鱗でした。
 2003年おわりころ、著者はてんかん協会のチャリティイベントで「π(円周率)の暗唱ヨーロッパ記録に挑戦する(22500桁まで覚える)」ことに挑戦を始めます。期限は三ヶ月。(ちなみに、2002年に東京大学のコンピューターが1兆2400億桁まで計算しました) 著者はπを幾つかの塊にわけ、それぞれを「風景」として覚えます。著者が一番気に入っている部分は、小数点以下19437~19453桁の「……9999212899999399……」だそうです。口ずさんでみましたが、たしかに気持ちの良いリズムです。著者にとっての難関は、「覚えること」ではなくて「集中力を保つこと」(小さな音がちょっとしても集中力が切れてしまいます)、そして「人前で大きな声を出すこと」でした。それは自閉症スペクトラムの人にとっては、とてつもない難行なのです。しかし挑戦当日、暗唱を始めた著者は「数字の風景に取り囲まれた自分」を発見します。途中観客の携帯電話が鳴ってしまいますが、それでも著者はパニックにならず集中力を保ちました。11時5分に暗唱スタート。最初の千桁に10分少々。1万桁に到達したのは午後1時15分。疲れによって数字の風景がぼんやり霞んでいきます。午後4時15分、著者は「……67657486953587」と言い切ります。22514桁、所要時間5時間9分はヨーロッパ新記録でした。彼の挑戦は続きます。次は「世界で最も難しい言語の一つ」と言われるアイスランド語を1週間でマスターすることです。アイスランドに4日滞在して著者はそれも達成します。そしてまたアメリカへ飛んでテレビショーに出演。すっかり売れっ子ですが、そこでの彼の感想が印象的です。彼にとって「自分が世の中でうまくやっていけることがわかった」のは「短い時間で旅行の支度をし、ひとりでホテルに泊まり、人でごった返した通りを異様な光景や音やにおいにひるむこともなく進んでいくという、たいていの人なら普通にできることがぼくにもできることがわかったのだ」だったのです。

 「唯識」でこういった人について考えると、いったい「この世界」はどんなものになるのだろう、と私は思います。「数字」が歩き、見たものは脳内に匂いや音を発生させる「世界」です。私にそれが理解や共感できるものかどうかはわかりませんが、ずいぶん興味深い哲学が展開できそうです。



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