最初に本日の本のタイトルを見たとき私が思ったのは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(P・K・ディック)でした。ところが最初の数ページで、全く違う話であることを私は知ります。違うものは違う夢を見るのです。
【ただいま読書中】『潜水服は蝶の夢を見る』ジャン=ドミニク・ボービー 著、 河野万里子 訳、 講談社、1998年、1600円(税別)
著者は、バリバリと仕事をしている編集者でしたが、43歳の時脳出血に襲われ、脳幹部が機能不全となり、知性は保たれているが身体で唯一動かせるのは左眼の瞼だけ、という「ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)」になってしまいます。しかし左眼の瞬きだけで「イエス/ノー」を伝達するだけではなくて「文字」を選択することで「執筆」ができるようになりました。本書は20万回以上の瞬きで“書かれた”本です。
見えない潜水服に閉じ込められたようになって、自力では動くことができない著者にとって「世界」は病室、訪室する介護士・医師・リハビリの療法士たち、訪問する友人、そして「思い出」です。ただ過去を詳細に思い出すと、それが現在は「自分がいない世界」であることに著者は否応なく気づかされてしまいます。著者は(瞬きで)呟きます。「何も変わってはいない。ただ僕だけが、いない。僕だけが、ここに、いない」。
著者はよく夢を見ます。しかしそれは本当に「夢」なのでしょうか、それとも「現実」が脳で妙に認識されてしまった姿? もしかしたら夢と現実の境界線が著者の場合少し以前とずれてしまっているのかもしれません。
ところで私の場合も、もしかして夢と現実の境界線は、本当にきっちりとしているものなのでしょうか? 私は「自分」の中に閉じ込められていたりしないのかな?
SF的な話ですが、「自分の脳の中身」をすべてコンピューターやネットにアップロードしたら不死の存在になれる、というアイデアがあります。だけどそれは別の形での「ロックトイン・シンドローム」を作るだけになるかもしれない、と私は嫌な予感がしています。
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