【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

昭和の常識

2019-10-19 07:19:22 | Weblog

 戦後の昭和の常識は「終身雇用」「55歳定年」「近くの商店で買い物」「親の世話は嫁の義務」でした。それが今では「非正規雇用」「定年はフレキシブル」「買い物はネット」「老老介護」です。だったら、法律や社会制度や社会常識も、そういった変化に合わせて変えないと、どこかに無理が出るのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン ──日本のBGMの歴史』田中雄二 著、 DU BOOKS、2018年、2200円(税別)

 音楽が人間の心理に影響を与えることは古くから言われていました。だから教会にはパイプオルガンが設置され聖歌隊が置かれ、軍楽隊が活用されます。ビジネスとしては1934年にジョージ・オーウェン・スクエア(退役准将)が有線サービスのミューザック社を設立したのがアメリカでの最初です。「音楽による生産工場、消費促進」を効能として、ミューザック社は全米に販売網を拡張していきます。ステレオはまだ広まっていなかったため、モノラル音楽で、周波数帯域は「刺激が少ない」中音域だけ、SPレコードを生でかける方式でした。高音域と低音域をカットしたのは、電話回線の品質が低かったことが主因だろう、と私は感じましたが、それさえ「労働者のためにはこの方が良い」と“利点"に変えてしまうところが商売上手です。工場や店舗での評判が高まると、アメリカ軍もミューザック社の大口顧客になります。野戦病院でのBGMや音楽の慰問団などで、戦場での音楽は兵隊の“役"に立ちました。
 イギリスでは、1922年にBBCがラジオ放送を開始しましたが、ラジオ受信機はまだ高価で受信が困難な地域が多かったため、ケーブルでBBCのプログラムを「レディフージョン(再放送)」するサービスが始まり、30年に音楽配信会社「レディフージョン」が設立されました。アメリカとは違って家庭向けのサービスです。43年には工場で「労働者のための音楽」という番組が放送されるようになります(イギリスの90%の工場で放送されたそうです)。
 戦争中にドイツではテープレコーダーが発明されました。戦後連合軍はこの技術を持ち帰り民間会社に公開、アメリカでのオーディオ産業発達の下支えとなりました。
 日本でのBGM産業は、1957年帝国ホテルで始まりました。電電公社の専用線をレンタルしてホテル内の共有スペースに音楽を流す「日本音楽配給」です。事業は当たり、ホテル周辺にもサービスエリアがどんどん広がりました。問題は電電公社です。法人向けの電話回線は使用料が高く、また配信エリアが電話局の営業局内限定で区をまたがった配信ができないこと、お役所仕事で工事が遅いことが本書には挙げられています(電電公社の職員の態度がとても傲慢だったことも私は記憶しています)。日本音楽配給は、機材はレンタル、音楽は長時間録音したテープで届けるスタイルでした(テープは定期的に交換して、飽きられることを防いでいます)。長時間とは言ってもオープンリールの最長は2時間。やがてリバース機能(テープが往復で再生できる)がついて4時間となっています。
 高度成長期の追い風に乗ってBGMビジネスは順調に成長、地方では地元の放送局を巻き込んでのフランチャイズ展開をします。テレビ放送が東京のキー局と地方の系列局で展開したのと似ています。成長したら分離独立合従連衡。面白いのは62年に「BGM」が商標登録されたことです。今だったら一般名詞ですが。
 テレビが成長して顧客を奪われたラジオ局は、スターDJによる音楽番組で対抗しようとしました。その過当競争の中で「ラジオジングル」を導入します。これが聴取者の心を捉えました。実はこのジングルも、けっこう大きな「ビジネス」なんだそうです。
 著作権も大きな問題です。支払いを少しでも減らしたいBGM業界はJASRACとの交渉で少しでも有利になるように頑張っています。
 オープンリールに代わろうと、コンパクト・カセットや8トラック・カートリッジが登場。やがてレコードに代わったCDがBGMでも使われるようになります。また、ネットでの配信も始まります。嚆矢は1992年の「通信カラオケ」です。衛星放送では91年にWOWOWが「セント・ギガ(副音声チャンネルを利用した有料音楽放送)」を開始しています。
 当時BGM業界の“最大の敵"は「有線放送」でした。同軸ケーブルを全国に張り巡らして多チャンネルで人気のプログラムを配信する大阪有線会社(現・USEN)は圧倒的なシェアを誇りましたが、実はケーブル配線を行政・電電公社・電力会社から許可を取らずに違法におこなっていました。たしかに「違法は違法」なのですが、大坂有線の言い分も、読むと「二分(あるいは三分くらい)の理」はあるように感じられます。(このときの行政の不誠実な不作為を、著者は不信の目でじとっと見ているようです)
 JASRACは、細かく著作権料を取り立てようとしていますが、これはグローバリズムに合わせるためだそうです。ということは、これからBGMの料金は上がっていくのかもしれません。
 かつてのBGMは「音楽は集団で聞くもの」が前提でした。しかし現代社会では「音楽は個人が聞くもの」になっています。そこでBGMはどうやって生き残っていくのでしょうねえ。




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