日本のお葬式はほとんど自動的に葬式仏教になってしまいますが、無宗教のものができないでしょうか。結婚式でも「人前結婚式」があるのですから。
【ただいま読書中】『風の歌 ──パイプ・オルガンと私』辻宏 著、 日本基督教団出版局、1988年、1800円
オルガニストを目指して芸大に入学した著者は、壊れているパイプ・オルガンの修理に熱中し、演奏ではなくて技術者への道を選びました。大学卒業後アメリカで3年間修行してからオランダへ。アメリカでは電気アクションが中心でしたが、オランダのフレントロープ社はメカニカルな構造のオルガンだけを作っていました。
著者は「よいオルガン」とは、上手に作った笛を上手に調整すればよい、とわりと単純に考えていました。しかしヨーロッパ各地の「古くてよいオルガン」を見聞きするうちに、「オルガンの良さ」に対する考え方が少しずつ変わっていきます。さらに「もの」としてのオルガンだけではなくて、その構造を知悉した人による「弾き方」も重要であることがわかります。パイプ・オルガンは単に「スイッチを入れたら音が出る」楽器ではないのです。さらにそのオルガンが置かれている環境・運用状況も重要です。
ヨーロッパ(特にオランダ)には古くは15世紀からのオルガンがたくさん残っています。オルガンは、時代差・地域差が大きく、それがオルガンの作曲方法に大きな影響を与えています。本書には、それらの古いオルガンで、建造当時の演奏法で当時の曲を弾く、という面白い試みを成功させたフォーゲルという人が登場します。8月26日に読書日記を書いた『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(草野厚)には「オルガンは“土着”の楽器」とありましたが、「時代を反映する楽器」でもあったようです。それで、現代のオルガン・ビルダーはちょっと難しいことになっています。現在オルガンで演奏される曲は、昔の曲も現代の曲もあるので、それらに幅広く対応できるオルガンが求められるようになってきているのです。
そこで著者が重視するのは「伝統」です。多くの人が試行錯誤をしてオルガンの機能や構造に関して合理的な選択をしたことの集積、それがオルガンの「伝統」となっています。「古いから良い」ではなくて「古いものの中には良いものがある。そこから学び未来に継承しよう」と言うのです。ところが残念なことに、20世紀初めにパイプ・オルガンに関しては「伝統の断絶」がありました。エレクトロニクス技術の採用によってアナログ技術の継承が大きく損なわれたのだそうです。その結果は「オルガンの音の悪化」だそうです。たとえば従来のメカニカルな鍵盤だと、弾き始めが柔らかいタッチで風を柔らかく笛に吹き込むこともできれば、一気に鍵盤を押し込んで風を急激に吹き込むこともできます。弾き終わりも同様です。ところが電気アクションだと「オン」と「オフ」だけになってしまいます(なんだか、、シンセサイザーが登場したときの話を思い出します)。さらには、電気アクションの場合、「鍵盤を弾いた時」と「音が出る時」との間に常にわずかな遅延があります(古いオルガンでも鍵盤から遠くのパイプでは同じ現象が起きますが)。
これは困ります。オルガンを「機械」のように作ったら、“楽器”ではなくなってしまうじゃないですか。ただ「構造」を理解して演奏した方が、「良い音」が出せる確率は高くなります。なかなか複雑な「楽器」です。
私が初めてパイプオルガンの生の音を聞いたのは、もう30年くらい前だったかな。来日したマリー=クレール・アランの演奏会でした。あの時には「曲」を聞くのに一生懸命で「演奏技術」とか「音」を鑑賞する余裕はありませんでしたが、今思うともったいないことをしました。今だったらもっともっと楽しめるかな?
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