特殊相対性理論の有名な式「E=mc^2」は、静止している質量を持つ物体はとんでもない大きさの静止エネルギーを持っていることを示しています。で、この式を変形すると、「c=±ルート(E/m)」となります。これで静止しているものはm(質量)がゼロであってはいけないことは自動的にわかるのですが、問題はc(光速)に「±」がついてしまったことです。「+」はともかく、「−」の光速って、一体なんです?
【ただいま読書中】『宇宙の扉をノックする』リサ・ランドール 著、 塩原通緒 訳、 向山信次 監訳、 NHK出版、2013年、3200円(税別)
まずガリレオ・ガリレイから話は始まります。「なぜ」ではなくて「どのように」世界が動いているのかを解明しようとする、それも、思念や権威ではなくて、実験や観察の結果を重視する、という革命的な態度をこの世界に持ち込んだ人です。
著者は「芸術」と「科学」と「宗教」の関係を「崇高」と「好奇心」という言葉でみごとにまとめます。その手際の鮮やかさには私は感銘を受けます。また「スケール」についても著者の語り口は明快です。ボールは原子でできています。しかし原子論ではボールの運動は説明できません。ボールを説明するためにはニュートン力学が適しています。だけどボールと原子は“共存”しているのです。そこで話は素粒子に。
原子よりもさらに小さなスケールの世界を探るのに有力な手段が「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」です。著者はLHCに惚れ込んでいる様子です。建設中のトンネルに入ったことを自慢そうに書いていますが……ううむ、確かにうらやましいぞ。できるものなら、私も見学した。潜りたい。
しかし、地下に存在する加速器で素粒子を衝突させることが宇宙を解明する手段だ、というのは、非常に面白いものです。人類が認識できる「最小のスケール」と「最大のスケール」が共存しているのです。
万物に「質量」を与えるヒッグス機構の解明に、LHCは非常に期待されていました(そして、この前その結論が出ましたね)。そのことも著者は熱心に語ってくれます。特徴的なのは「数式が登場しない」こと。物理学の細心の“現場”について語っているのに、数式無しで通すとは、おそらく著者にとっては大変な努力が必要だったのではないか、と私には思えます。「素人が何を知らないか」「素人は何がわからないか」がわかった上で「どうすれば理解できるか」の“方法論”を開発する必要がありますから。専門家が「自分が何を知っているか」を専門用語や数式を使って語る方が、よほど楽でしょうに。
分厚い本ですが「科学」「真実」「美」などについていろいろ考えることができる良書です。
昭和30年代に近所に普通にあって今はあまり見かけなくなったものがたくさんあります。銭湯、煙草屋、畳屋(というか、ふつうの個人商店そのものが激減しています)、電話ボックス、赤い郵便ポスト、どぶ、質屋。質屋はもともと目立たないところに店を構えていましたから、実は今でもしっかり営業中なのかもしれませんが。
【ただいま読書中】『儲けの極意はすべて「質屋」に詰まっている』新井健一 著、 かんき出版、2015年、1400円(税別)
「収入の大きさ」にだけ注目するのではなくて、「収入と支出の差」に注目するべきだ、という極めて基本的なところから本書はスタートします。さらに、収入を得るための投資が必要なことも忘れてはいけません。さらに、お金の出入りのタイミングの問題もあります。「黒字倒産」の多くは、このタイミングのずれによって発生します。
ここで「質屋」の登場。ただし質屋から派生した商売もいろいろあるそうです。
質屋の起源は鎌倉時代まで遡るそうです。現在の質屋営業法では、質草の預かり期限は契約成立の日から3箇月以上、利息は月9%までOKだそうです。そして、質草を預かる行為は「仕入れ」、それが利息として現金収入を生みますし、質流れが発生したらこんどは質草そのものを売却することでこれまた現金収入となります。この「現金」が質屋の強みです。あとは、仕入れのときの鑑定眼と、販売ルートの確保ですが、今だとネット販売も多く行われているそうです。
本書では「損益計算書」をどうやって読み解くか、が、「質屋」という「商売の基本」を例として解説されています。本書を一冊読んだくらいで起業できるとは思いませんが、本書の知識さえ持たずに起業するのはとってもリスキーであることはわかりました。ビジネスって、厳しい世界ですねえ。
先日読んだ『世界恐慌』(ライアカット・アハメド)では、「英仏の対立」が「世界経済」を泥沼に引きずりこんだ一因であるとされていました。しかし「イギリス」と一言で言っても、4つの王国の連合体だし、そもそも英仏海峡をまたがって領地があった場合もあります。ヨーロッパの王室は親戚縁戚が複雑な関係。単純に「イギリス」「フランス」とはまとめられないのではないか、なんて思うのですが、それを「まとめられる」としたのはナポレオンの“功績”でしょうか。
【ただいま読書中】『中世英仏関係史 1066-1500 ──ノルマン征服から百年戦争終結まで』朝治啓三・渡辺節夫・加藤玄 編著、 創元社、2012年、2800円(税別)
ヴァイキングの襲来により英仏では北欧との強い繋がりが生じました。ヴァイキングの襲来に対抗するためにイングランドでは統一が進みますが、ヴァイキングもやがて北東イングランドに定住するようになりました。フランスではヴァイキングの定住地のノルマンディ地方が北欧との繋がりを保ったままフランスの一部として強力な領邦として成長しました。1066年「ノルマン征服」、ノルマンディ公ギョーム二世がイングランドを征服し、話はややこしくなります。「イングランド+ノルマンディ」のアングロ・ノルマン王国は、フランスで最強の領邦ですが、フランス王が「主君」であることは維持されていました。フランス王も臣下のノルマンディ公がイングランド王であることに対応しなければなりません。イングランドの宮廷は大陸出身者で占められ、イングランドは“フランス化”します。イングランド王国とノルマンディの両方に領地を持つ家臣たちにもそれぞれの事情が生じます。かくして、ノルマンディ公(イングランド王)、フランス王、両方の貴族たちが複雑に絡み合っての陰謀や戦争が相次ぐことに。いやもう本当にややこしい動きですが、1154年にアンリ・プランタジュネ(ヘンリ・プランタジネット、のちのヘンリ二世)が、大陸(現在のフランスの西半分)に加えてアングロ・ノルマン王国を手に入れてアンジュー帝国が成立します。フランス王から見たら、あまりに強大な“臣下”は目障りです。だからと言って正面切っての対決は困難。そこでアンジュー帝国の王子たちの内紛に乗じる手段を採用します。王様をやるのも大変です。
百年戦争前夜、フランス国王は力をつけ、アンジュー帝国を圧迫します。お家騒動、内乱、戦争……飽きもせずに人類は似たことをやり続けます。取りあえずパリ条約(1303年)で西欧に「平和」がもたらされますが、それはトラブルを先送りしただけでした。フランス王のカペー家は、対フランドル戦争を遂行中で二正面作戦をする余裕はなく、プランタジネット家は対スコットランドで忙しかった、という事情が両家の間に「平和」をもたらしただけだったのです。フランドル地方には神聖ローマ帝国領もありましたが、政治的にはフランス王が支配、しかし特産の毛織物を通じて経済的にはイングランドとの結び付きが強い、つまり、フランドルの貴族はフランス王と、諸都市はイングランドと結びつくわけ。「何とかしなくては」とフランス王の視線がイングランドに向くのは当然でしょう。
百年戦争の“当事者”は、プランタジネット家とヴァロワ家ですが、話がややこしくなるのは、双方がそれぞれ「国際関係」を利用したからです。ブルターニュなどの自律的な諸侯領も「国家」として数えると、百年戦争には30ヶ国が参加したことになるそうです。
エドワード三世は、母方の血を理由に「フランス王」の称号を要求、海戦はイングランドの圧勝で、以後英仏海峡はイングランドのものになります。イングランド軍は大陸に上陸、有名な長弓兵が活躍しますが、そこに黒死病が。30年間の休戦協定やジャンヌ・ダルクの登場。ヘンリ六世はパリでイングランド人司教の手で戴冠しましたが、シャルル七世は(歴代フランス国王に倣って)ランスで戴冠して自分の正当性を主張しています。こういった「正当性」も重要なんですよね。最終的にフランス国王は(カレー以外の)フランス全土を掌握することになります。しかしきちんとした休戦協定が結ばれたわけではなく、イングランドは内紛が収まるたびにフランスにちょっかいを出そうとし、フランスは防備を固めると同時にイングランドの内紛をあおろうとします。お互い「嫌な隣人」です。
これがほんの数百年前、日本だったら室町時代の話です。そして百年戦争が“終わって”も、戦争状態自体が終了したわけではありません。ずっと相手を“敵視”するのが続くのですから、難儀な話です。これが20世紀の世界大戦の下地にもなっているのでしょう。これで「EU」という発想がよくも生まれたものだ、と私は感心します。域内あるいはグローバル経済は“接着剤”としてはとてもとても優秀なのでしょうね。
株が上がっているから、と買う人は、下がったら売ります。
これでは大儲けは望めそうもないですね。それと、市場の動きは増幅されそうです。
【ただいま読書中】『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険PART II ウエスト・エンドの恐怖』故ジョン・H・ワトスン博士 著、 ニコラス・メイヤー 編、田中融二 訳、 立風書房、1977年、950円
「ウエスト・エンドの恐怖」と言って私がすぐに想起するのは、「イースト・エンドの切り裂きジャック」です。なんか捻ってあるのかな? というか、「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」の「PART II」ですって? 前作は、たまたまみつかった草稿、という設定でしたが、そうそう続けて都合良く別の未発表草稿が発見されたりはしないでしょ? 一体どうやるんだ? ということで、著者の策謀にひっかかって私はうかうかと本を手に取ることになるのでした。
バーナード・ショウが殺人事件の捜査を依頼するためにやってきました。殺されたのは、あまり評判が良くない批評家。そして、ホームズとワトスンが会うべきは、オスカー・ワイルド。
殺人事件は、連続殺人事件になり、警察は明らかに無理筋の“真犯人”を逮捕します。さらに不可解なことに、警察の検屍室から死体が二つとも消えます。警察医とともに。
正直言って、前作の方が私は楽しめました。無理矢理重要人物だけセレクトして薬品を上手く飲ませる、とか、そもそもその薬品が○○だとか、ちと無理な展開が目立つもので。アードラーさんの新しいエピソード(ホームズの秘密の日記を発見!)とかだったら、私個人としては嬉しかったんですけどね。でもおそらく、シャーロキアンだったら狂喜乱舞しながら「ここにこんな仕掛けが!」と発見できるいろいろな遊びが本書のあちこちに仕込まれているのではないか、と想像はします。残念ながら、私はそこまでのシャーロキアンではなかったのでした。
かつて「日の沈まぬ帝国」だったのは大英帝国ですが、今でも皇太子はプリンス・オブ・ウェールズだし、サッカーやラグビーでは「4ヶ国」として扱われます。ということは「イギリス」は現在、小英帝国をまだ維持している、ということなんでしょうか。
【ただいま読書中】『ワトスン博士の未発表手記による シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』故ジョン・H・ワトスン博士 著、 ニコラス・メイヤー 編、田中融二 訳、 立風書房、1975年、950円
ネタバレがありますので、未読の方は本日のここから下は読まない方が吉です。本書を読む気がない人はどうぞ次の段落へ。
老人ホームで死を前にしたワトスン博士が、秘密を解禁するために執筆した未発表原稿を入手したニコラス・メイヤー氏が手を入れて発表した作品、という体裁です。ここまでなら良くある設定ですが、シャーロック・ホームズのシリーズには矛盾というか不可解な点があるのを、ここで明らかにする、しかもこれまでの作品の中には、明らかな嘘が混じっていることも告白する、というのですから、非常に挑戦的です。シャーロキアン全員への挑戦、と言っても良さそうです。私はシャーロキアンではありませんが、さてさて、お手並み拝見、と本を開きます。
ワトスンは結婚をし、開業医としても成功しています。当然ホームズとの仲は自然に疎遠になりつつありました。しかしそこで意外な形での再会。そこでワトスンは「モリアーティ教授」の名前をホームズの仇敵として聞かされます。しかし、ワトスンが出会ったモリアーティは、ワトスンが予想したのとは全然違う姿でした。
いやもう、この冒頭のシーンだけで「私が知っているホームズの世界」がぐらぐらと揺すぶられてしまいます。
さらにホームズは、コカイン中毒でもうぼろぼろになっています。これは大変です。
そして、ランセットでコカインでウィーンですって? いや、あの有名人かな?とは思いますが……
ワトスンはホームズを救うため、マイクロフトぼっちゃま、もとい、シャーロック・ホームズの兄のマイクロフトの助けを借りることにします。シャーロックより頭がよいはずですから。
で、ウィーンで二人(いや、三人、と言った方が正確かな?)が出会ったのはやはり“あの有名人”フロイトでした。そこでホームズは生気を取り戻し、また新たな謎に挑戦することになります。
ウィーンでフロイトは、ユダヤ人であることで差別され、新規な学説を唱えていることでも差別されていました。しかし腕が良いことから、軽蔑されながらも重宝される、という、ロンドンでホームズがレストレイドなどから受けている扱いと似た立場にあります。ともかく、アメリカ訛りの英語を喋るが自分のことが何もわからなくなっている若い女性を診察するフロイトを見ていて、ホームズは「大戦争の危険」を悟ります。大虐殺が起きるのを防がなければ。
そして、事件のあと、ワトスンはあの有名な作品「最後の事件」を捏造するのです。というか、本書が「最後の事件」のパロディになっている、というか、実際の事件を差し障りがないように換骨奪胎したら「最後の事件」になってしまった、ということことなのでしょう。いや、それは仕方ないことではあるのですが、モリアーティ教授がちょっと気の毒になってしまいます。
ちょっと変わった「ホームズもの」ですが、シャーロキアンでなくても楽しめます。少なくとも私は楽しみました。
復習は、授業後の場合は記憶の定着・テスト後はミス再発の予防のために行うものでしょう。では、予習の目的は? 実は私にはよくわかりません。何を教わるか、は、授業で教われば良い、と思ってこれまで生きてきたものですから。というか、授業の目的が“それ”でしょ?
【ただいま読書中】『海軍の日中戦争 ──アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』笠原十九司 著、 平凡社、2015年、2500円(税別)
「日中戦争は陸軍が暴走することで拡大した」という見方があります。これだと海軍は巻き込まれた“被害者”のようですが、じっさいにはこれは戦後の海軍の宣伝工作によるもので、実際には海軍も日中戦争では非常に積極的な役割を果たしていた、ということが本書では様々な証言の分析を通じて示されます。ただ、本書の目的は「誰が悪者か」を断罪することではなくて「戦争からどのような教訓を得て、それによって次の戦争をどうやったら予防できるか」を考えることだそうです。過去から目をそらして自己弁護ばかりしていたら、また同じことを繰り返すでしょうから。
まずは上海での大山事件(1937年)。パトロール中の大山海軍中尉が中国軍に惨殺されましたが、その前日から大山中尉には死を覚悟したような不審な言動があります。さらに当日にも普段はおこなわない行動が。著者は「密命で、殺されるために中国軍の基地に向かったのではないか」と考えています。つまり、海軍の中国軍に対する挑発。「密命」に関する証言と、その内容の正しさから、どうも著者の推測は正しいように思えます。
盧溝橋事件は「偶発」だったようで、だからでしょう、事件後日本陸軍内部では路線対立が激しくおこなわれましたが、大山事件後の海軍の行動は首尾一貫しています。まるであらかじめ“シナリオ”があったかのように。蒋介石に最後通牒を突きつけ、戦力を拡大します。国内世論は「暴戻なる支那を膺懲せよ」と盛り上がります(実際に、死体損壊はひどかったのですが)。かくして南京・南昌渡洋爆撃の計画が発動しました(出撃基地は長崎大村や台湾です)。
余談ですが、この時の爆撃行の手記に「中国軍の弾は日本の機体を貫けない(だから護衛戦闘機無しで低空爆撃を敢行する)」なんて書いてあるのには、驚きます。対米戦の“予行演習(新鋭の九六式陸上攻撃機の実戦性能テスト)”のはずが、思わぬ大損害を被ってしまったのです。そのため海軍は「戦闘機」の重要性を認識、同年10月には三菱に「十二試艦上戦闘機計画要求書」が交付され、その結果としてゼロ戦が生まれることになります。
近衛内閣は盧溝橋事件以後「不拡大方針」を採っていましたが、拡大方針の陸軍、および大山事件で策動した海軍に引き摺られて方針を変更します。さらに、政友会と民政党の醜い権力闘争が「統帥権干犯問題」を引き起こし、日本は自滅のシナリオをさらに進むことになりました。
損害を減らすために南京爆撃は高高度あるいは夜間爆撃となりますが、そのため正確な攻撃ができず、外国人や民間人の損害が増えます。国際的な批判が巻き起こり、日本外務省は爆撃中止を口にしますが、海軍はそれに憤激し、爆撃を継続します。国際社会で日本は孤立していきます。(これまた余談ですが、この時強硬な批判をしていたアメリカが後年ヨーロッパや日本で都市に対する大爆撃をするようになったのは、歴史の皮肉ですね。また、東京裁判でもこの「中国の都市爆撃」は訴追されていません)
1921年『制空権論』(ジュリオ・ドゥーエン少将(イタリア))では「まず空襲で敵の抵抗力と戦意を破壊してから、陸上部隊が侵攻・占領する」戦略爆撃論が説かれましたが、それを世界で最初に実行したのが日本軍による南京攻略でした。上海派遣軍は南京進軍は予定していませんでしたが、現地軍はイケイケどんどんで進軍、大本営もそれを追認します。37年12月12日、城内に日本軍が突入。海軍航空部隊も激しい空爆を継続します。南京から逃れて長江の45km上流に停泊していたアメリカ砲艦「パナイ号」はアメリカ大使館分室としても機能していて、位置を日本領事館にも伝えていました。さらに甲板には星条旗を大きく描き、特大の星条旗も掲揚。それが繰り返し爆撃されてパナイ号は沈没しました。
日本海軍側の言い分は「中国人がたくさん乗っているのが見えた」「国旗なんか見えなかった」「事故だ」「陸軍が悪い」。その日駐日アメリカ大使グルーは「ルシタニア号事件(1915年にルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈され、それが世論に大きな影響を与えて2年後のアメリカ参戦の後押しになった)」を想起して日記に記録しています。実際にアメリカでは「Remember the PANAY!」が叫ばれるようになり、それは4年後にそのまま「Remember Pearl Harbor!」に結実することになりました。
南京占領でも日支事変は終わりません。近衛内閣は「爾後国民政府を対手とせず」と宣言。長期の泥沼戦争を宣言します。陸軍は及び腰になります。長期の負担と犠牲が見えたからでしょう。しかし海軍は意気軒昂でした。自分は大した損害なしに膨大な臨時軍事費を獲得でき、アメリカを仮想敵国とした航空戦力の大拡充に進めるのです。海軍にとって日中戦争は「もっと大きな戦争」に準備するための手段(些事)だったのです。実際に37年度に比較して38年度の臨時軍事費の数字にはびっくりします。そして、陸軍が何をやっているかには無関心に、海軍航空隊は中国軍(のアメリカ機)などを相手にせっせと“実戦訓練”を41年までおこなうことになりました。
日本の陸軍と海軍がバラバラだったことは、以前から指摘されていますが(たとえば『失敗の本質 ──日本軍の組織論的研究』)、本書を読んでいてこの二つの軍隊は「同じ国の軍隊」というよりは「連合軍」として扱った方が良いのか、と思えました。ヨーロッパ戦線で米軍と英軍(と仏軍)がぎくしゃくしながらも協力して戦っていたのと似た雰囲気かな、と。ヨーロッパ戦線では「共通の敵」がいるからこそ一緒に戦いますが、一番重要なのは「自国の利益」であったわけです。それが日中戦争では「共通の敵」さえいません。そして、一番重要なのは「自国の利益」ではなくて「自軍の利益」。これでは、よほど敵が弱くて幸運に恵まれないと、戦争には勝てないでしょう。ある会社で工場と営業がお互いの足を引っ張り合いながら、他社との競争に勝ち抜こう、というのと同じ。いや、不可能ではないでしょうが……
ムスリムの宇宙飛行士の場合、祈りを捧げるべき「メッカの方向」はどちらになるのでしょう? 祈りの時間は、いつかな?
【ただいま読書中】『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク 著、池田真紀子 訳、 光文社古典新訳文庫、2007年、743円(税別)
この前読書した『ふわふわの泉』で「愛らしいアイドル調の異星人」の姿を見て、突然『幼年期の終わり』の悪夢が結晶したような異星人のことを思い出しました。思い出したから、再読することにします。今世紀に入ってからだけでもこれで何回目かの再読ですが、それでも楽しめるのですから、つくづくすごい作品だと思います。
元々の作品は1952年に執筆されています。本書ではその第一部を1980年代にリライトしているわけですが、やはり「50年代の残渣」はあります。たとえば「ラジオ」が大きな役割を果たしていますし、インターネットは影も形もありません。だけど「それがどうした」です。「大きな物語」が「より大きな物語」に飲み込まれ、それがさらに「もっと大きな物語」へと発展していく過程は、本当にスリリングで知的興奮をしっかり味わうことができます。
いやあ、楽しかったなあ。さて、また細部を忘れた頃に再読することにしましょう。
「反戦家」の対義語は何になるのでしょう。「好戦家」? あるいは「戦争愛好者」? どちらにしても、「反戦」に対する攻撃力が強いわけは、わかるような気がします。
【ただいま読書中】『世界恐慌 ──経済を破綻させた4人の中央銀行総裁(下)』ライアカット・アハメド 著、 吉田利子 訳、 筑摩書房(筑摩選書)、2013年、1600円(税別)
戦後の苦しい調整局面が一段落し、景気は離陸しました。中央銀行のバンカーたちは、バブルを恐れながら、活気のある経済と物価の安定を目指します。ドイツはハイパーインフレの悪夢から脱し、ヒトラーなどのビアホール一揆もとりあえず片付き、経済は順調に伸びます。その原動力は、外資によって経済を成長させ、賠償金より融資返済を優先させるという「ドーズ・プラン」でした。金がだぶついていたアメリカ資本家は先を争ってドイツに投資しました。
フランスにはイギリスポンドが大量に流入し、英仏の関係はぎくしゃくします。フランスに存在する大量のポンドのため、イギリスの金本位制は不安定となります(フランス中央銀行がその気になったら、即座にポンドと金の交換を要求できるからです)。アメリカの株式市場はバブルとなっていました。この「アメリカのバブル」「金本位制の不安定性」「ドイツの外国からの過剰な借り入れ」、これこそが20年代の終わりに世界経済に大混乱を引き起こす要因でしたが、各国の中央銀行はそのことに気づかず、いつもの小競り合いに忙しくしていました。
そして4人のバンカーは秘密の会議を開催し、ポンドを支えるため1927年8月に連邦準備制度の金利引き下げを決定します。アメリカ株式市場は湧きます。沸騰します。慌てて金利を引き上げましたが、遅すぎました。金利引き下げという火花は、大規模な山火事を引き起こしてしまったのです。もともとニューヨークダウの上昇は、実体経済の反映でした。しかし27年秋からは「バブル」が始まったのです。株価はどんどん上昇、熱狂がアメリカ全土を覆い、素人の投機家が大量に参入、「新時代の到来」が合い言葉となります。ゼネラル・モーターズ(10年で株価が20倍)やRCA(こちらは70倍)の“次”が血眼で探されます。中央銀行はバブルを何とか無事に着地させようと努力をします。しかし意見は割れ(しかもどの陣営の意見も部分的には正しく)、結局何も有効な手は打てません。
アメリカの狂乱は、ドイツからの資金の引き上げをもたらしました。そのため29年始めからドイツは不況に突入します。そのさなか、戦争賠償金の難儀な国際会議が。なんとドイツは36年間5億ドルずつ、さらに22年間3億7500万ドル支払い続けることが決まります。交渉に臨んだライヒスバンク総裁シャハトは暗い予感を抱きます。これでドイツはどん底に落とされるだろう、と。そして、ケインズもまた、シャハトと同意見でした。しかしケインズも、世界恐慌までは予想していませんでした。
「暗黒の木曜日」の前に、いくつかの“事件”が起きます。後知恵ではバブル破裂の前兆とも言えるものですが、当時はそれはほとんどの人には見過ごされました。そして「暗黒の木曜日」。そして「悲劇の火曜日」。株式市場と銀行は悲鳴を上げます。その危機のさなかでも、連邦準備制度理事会とニューヨーク連銀はこれまでの諍い(主導権争いと相手の行動の妨害)を続けます。そして、アメリカGNPの半分に当たるお金が消失しました。消費は冷え込み、工業生産は落ち込み、失業者が増えます。そしてそれは、世界に波及しました。グローバリズムの世界では、暴落も不況もグローバルなのです。例外はフランス。フランを低く抑えておくという戦略が当たり、世界中の金がフランスに流入しました。イギリスはフランスに対する反感を募らせます。ここで著者は「プライドが高くて高圧的な英国と自己中心的で傲慢なフランスはがっぷりと組み合うことになり、フランスの金の山はますます高くなっていった」と述べています。
ドイツは、対外債務・賠償・不況によって大揺れに揺れていました。その揺れを増幅させたのが、中央銀行総裁シャハトです。国の方針に公然と逆らうパフォーマンスで連合国との賠償金交渉を難航させ、そしてさっさと辞職。崩壊するドイツ経済を“安全地帯”から傍観していたシャハトは、急成長するナチスに接近します。
31年オーストリアの小さな銀行の危機が、最終的に世界を揺るがす大事件に発展します。ドイツも危機に陥り、それに対処しようとアメリカとフランスがだらだらと交渉をしている間に、危機は危篤状態に進展します。ドイツはとうとう金本位制から離脱。ナチスはますます元気になります。
次はイギリスの番でした。イギリスからも金が大量に流出。とうとうイギリスも金本位制を維持できなくなってしまいます。そしてアメリカも、信用収縮と債務不履行の悪循環にはまってしまいます。古き良き19世紀の金本位制は、ついに終焉を迎えたのです。
本書を読んでいて、似た状況は最近もあった、と思いました、というか、著者はそれを指摘しています。で、過去の教訓から何を学ぶのか、なんですが、「知性」と「権力」って、相性が悪いんでしょうか、なかなか権力者が知性的な対応をしないことが、今も昔も大きな問題だ、ということも本書から学べます。困ったものです。
アベノミクスでは「大量の紙幣増刷」がせっせとおこなわれています。「2年で2%」は達成できなかったのに、まったく無反省でさらに継続されています。ということは、紙幣増刷はデフレ脱却のための「手段」ではなくて、別の目的のための手段だった、ということなのでしょうか。それともすでに「手段」ではなくてそれ自身が「目的」になってしまっている?
【ただいま読書中】『世界恐慌 ──経済を破綻させた4人の中央銀行総裁(上)』ライアカット・アハメド 著、 吉田利子 訳、 筑摩書房(筑摩選書)、2013年、1600円(税別)
1929~33年の「大恐慌」により、世界は暗い時代にたたき落とされ、ナチスとヒトラーが台頭して第二次世界大戦が引き起こされました。1920年代の好景気からの転落について、本書では「イングランド銀行」「連邦準備制度」「ライヒスバンク」「フランス銀行」という4つの主要中央銀行の責任者に注目しています。この4人の中央銀行総裁は、当時新聞に「世界で最も排他的なクラブ」と呼ばれる特権集団を形成していました。なお、本書で「4人」の対極に置かれるのが、ケインズです。ただし本書では、まずはその“前”から話が始められます。
20世紀初め、経済の世界の“合い言葉”は「金本位制」と「自由貿易」でした。金融と貿易は国際的なネットワークで結ばれ、それを保証するのが各国が保有する金だったのです。それを第一次世界大戦が蹂躙します。パニックに襲われた人々が殺到し、イングランド銀行の金準備高は、1億3千万ドルから3日間で5000万ドル以下に激減します。その激動の中に、のちの「4人」が含まれていました。ちなみに、当時世界一の金保有をしていたのはフランスで8億ドル分。開戦と同時にそれはすべてパリから田舎に疎開させられています。
戦後処理で、もっとも強硬な態度で賠償金を要求したのは英国でした。フランスは金よりは「安全」の方を重視し、そのためには賠償金問題は柔軟な態度で扱うつもりです(とは言っても、賠償はしっかり取る気ですが)。イギリスの要求ははじめ1000億ドル、それから550億ドル。戦前ドイツの年間GDPが120億ドルですから、この要求は狂気の沙汰です。ケンブリッジの特別研究員ケインズは『平和の経済的帰結』を出版し、そこで「ドイツの乳を搾るつもりなら、その前にドイツを破壊してしまってはいけない」と60億ドルを主張します(ドイツを絞りすぎたら、支払うためにドイツはがんがん大量の輸出をしなければなりません。それは他の国の経済に悪影響を与える、という主張です)。
ドイツはハイパーインフレに襲われました。戦前に1マルクだったベルリン市電の初乗り運賃は150億マルクです。賠償交渉だけではなくて、ヨーロッパがアメリカに対して負った負債の返還問題も泥沼化します。ここで政治家たちは次々と愚かな行動と決断をおこないます。対照的なのはケインズで、ほとんど常に正しい方向のアドバイスを政治家におこない、そしてことごとく無視されています。
戦後のヨーロッパは、大量に発行された紙幣が満ちあふれていました。そしてアメリカには、ヨーロッパから大量に流入した金が。どちらにしても物価は上昇します。ヨーロッパは戦前の金本位制に戻ることを熱望しますが、そのためには金が足りません。さらに、金本位制に戻ることは、世界の金のほとんどを保有しているアメリカのドルと自国の通貨が固く結びつけられてしまうことを意味します。金本位制に見えて、実はドル本位制なのです。自説を変えない専門家たちの議論は堂々巡りとなり、蔵相となったチャーチルはとうとう「金本位制に戻る」と決断します。世間は喝采し、ケインズはがっかりします。そしてそれは、間違った決断でした。
難しいことを難しく説明するのは、馬鹿でもできます。
【ただいま読書中】『ネアンデルタール人は私たちと交配した』スヴァンテ・ペーボ 著、 野中香方子 訳、 文藝春秋、2015年、1750円(税別)
タイトルはなかなか刺激的ですが、著者はスタンドプレーを嫌いフェアで学問的に厳密に立証された結果を重んじる態度です。つまり、意見が違う陣営の科学者でも少なくとも方法論に関しては著者に賛成できるように論文を書こうとします(実際に、まったく意見が違う学者も著者の論文に対しては「もしもこれができる研究者がいるとすれば、それはスヴァンテだろう」と述べています)。科学論文を掲載するレベルの高い雑誌としては「ネイチャー」や「サイエンス」が広く知られていますが、著者から見たらそれらには「学問として厳密ではない論文」もセンセーショナルな内容なら掲載する雑誌でしかないようで、ネアンデルタール人のDNA解析についての本当にすごい論文を著者は「セル」誌に投稿することにしました。「ネイチャー」や「サイエンス」に対する痛烈な批判です(著者の口調は非常に穏やかですが)。
学生の時将来の進路として、古代エジプト学と医学の間で迷っていた著者は、その両方を満足させる道を見つけます。古いミイラの遺伝子の研究です。
DNAは不安定で、日常的に破壊されては修復を繰り返しています。その破壊は死後も起き、死体のDNAは基本的には断片になってしまっています(死後は修復は起きませんから)。例外は、たとえばミイラ。水がないと酵素による破壊は起きず、DNAが保存されることがあるのです。著者は東ドイツの博物館でミイラの試料を入手、そこから遺伝子抽出に成功します。1986年ニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所でその講演をした著者は、同じセッションで新しく開発されたPCR法(遺伝子を画期的に増幅させる方法)の発表を聞きます。これだ! 著者の実証的な研究により、古びた博物館は突然「貴重な資源の宝庫」になります。現生の生物の御先祖様たちが剥製となって保存されているのですから。
著者は若くしてミュンヘン大学の教授となりますが、そこで「試料が現代人のDNAや微生物に汚染されやすいこと」に気づきます。古代のDNAを調べているつもりでその試料にうっかり触った現代人のDNAをせっせと増幅しているのでは、意味がありません。そこで実験に厳密な手続きを著者は定めます。古代のDNA解析専用のクリーンルームを造り(微生物のDNAが混入することを防ぐため)操作手順に厳密な基準を設けます。著者本人が「パラノイア的」と言うくらいに厳密なやり方ですが、それでも混入はありました(試薬そのものに現代人のDNAが混じっている場合さえあるのです)。挫折を繰り返しながらもクリーンルームと操作手順が確立して、やっと研究が始まります。著者らは「骨」から古代のDNAを回収することに成功します。
ところが、著者らが挫折を繰り返している間に、世界では「1700万年前の植物のDNAが!」「恐竜のDNAが!」といった華々しい論文がたくさん生産されていました。しかし著者の追試では、それらはすべて「現代のDNAの混入」です。クリーンルームも使わず、いい加減な手順で全自動のPCR装置に試料を突っ込むだけで、出た結果を念入りな検証もせずに華々しく発表する態度に対して、著者は苦々しい思いを隠しきれません。「もっと真面目にやれ」と言いたそうです。ただ、反論をしてもキリが無いので、著者は「自分の研究」を進めることにします。真っ当なものを示し続ければ、いつかはそれが“スタンダード”になるだろう、と。
90年代前半、やっとDNA研究はある程度確立します。犯罪捜査でDNA鑑定で冤罪がつぎつぎわかるようになったのもこの時代からです。そして「アイスマン(91年にアルプスの氷河から発見された青銅器時代の男性のミイラ)」のDNA分析の依頼が。四苦八苦してやっと解析には成功。ほんの少ししか現代人との変異はありませんでした。そこで著者はもっと変異がありそうな「ネアンデルタール人」をターゲットに定めます。幸運に恵まれて基準化石から得た3.5グラムもの標本を解析に。数箇月後著者は深夜の電話でたたき起こされます。「あれは人間のDNAじゃありません」と。
著者は自分の性生活についてもけっこうあけすけに語ります。その延長線上に二つの問いがあります。「ネアンデルタール人は現生人類とセックスをしたか」「ネアンデルタール人の遺伝子(の一部)は現生人類の遺伝子にその痕跡を残しているか」。ミトコンドリアDNAの解析では、現生人類にネアンデルタール人の痕跡は見つかりませんでした。では、核DNAでは? それまで誰も古代の核DNA分析には成功していませんでしたが、著者の研究室で永久凍土のマンモスでそれに成功します。しかしネアンデルタール人は永久凍土にはいません。ブレイクスルーが必要です。
そこからもいろいろあって、ついにネアンデルタール人の核ゲノムの解読に成功。さらに現生人類にネアンデルタール人の遺伝子の痕跡があることもわかります。ところがそれは、ヨーロッパ人だけではなくて、ネアンデルタール人が住んだことがないアジアの現生人類からも見つかったのです(遺伝子全体の1~4%がネアンデルタール人由来だそうです)。これはどういうこと? 謎解きは終わりません。
科学について知ることができるだけではなくて、非常に出来の良い推理小説を読んでいるような気分にもなれる本です。それと、科学と誠実に向き合うとはどういうことかも本書から学ぶことは可能です。「科学」に限定せずに、人生そのものに話を拡張することも可能ですけどね。