今朝の除雪は大変でしたネ(重くて!)でも、朝刊1面トップに名護市長選で「移設反対」(共産党も推薦)を訴えた稲嶺進候補の当選を読んで(除雪での)“疲れ”が取れました。市長選の勝利が日米新安保50年の幕開けにふさわしい結果だけに心から歓迎します。
新聞と言えば、過日の某新聞の記者名入りの囲み記事を読んで考えさせられました。議会前や日頃からの記者の問題意識から市政に関わる取材を申し入れると「議会に発表前だから」との理由で取材の自由が奪われている、とも受けとめられる内容。もし、それが理由とすれば議員のひとりとしても“おかしい”と思います。
ここ数年、特に予算委員会を迎える2月議会には読み切れない資料がたくさん配付されますが、すべて目を通すことは不可能です。前出の記者曰く、「予算が絡む事業や政策を議会前に書こうとすれば、『まだ記事にしないで』・・・」とは議会をだしにした“逃げ口”にもとれます。(議決権の問題は別として)記者の問題意識や様々な情報から取材し、市民に発信することに何故制限するのだろうか?と疑問を感じます。
私も議会前に各部・各課に資料要求をすると「これは質問の材料ですか?」と聞かれます。参考資料と思っても受け取る側の対応ひとつで、逆にもっと調べて見ようと言う意識に変わり、想定していない事実が明らかになることも多々あることを体験しました。
確か16年前の1期目の時ですが、取材の関係で苦い体験を味わったことを思い出します。6月議会の一般質問を通告したとき、某記者が私を訪ねて「この通告内容を教えて下さい・・・」と取材されました。新人だった私に、先輩議員から「通告内容はテクニックが必要であり“抽象的表現が望ましい”場合もある」と助言されました。不慣れさと正直さが重複し質問に係わる資料を記者に渡してしまいました。(取材は金曜日で)私の質問は月曜日だったのですが、何と質問当日の朝刊に“すっぱ抜かれて”しまいました。当然、本人に抗議したところ返ってきた言葉は「これは私の独自取材です」のひと言に驚きました。その件があってから記者への不信を持ちました。が、私自身も“情報管理の甘さ”に気づき自己批判しました。確かに情報提供には書面上の“ルール”はありません。でも一般常識では“事前情報を取材したのなら、質問前には書かない”、“○○議員が質問予定”と記載するのは最低の礼儀と思います。一方、行政側は質問通告している内容を、理事者側が明らかにするのは論外と思います。
議員の役割は行政のチェック機能を果たすこと。同時に、調査・研究して提案することです。記事の後先は取材の自由であり、前述した一定のルールが守られれば問題はないと思いますので、取材に対し行政側は“神経質”にならない対応が必要と考えます。