◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より
When each thought absorbs your attention completely, it means you identify with the voice in your head. (P29)
「もし、ひとつひとつの思いに、完全に注意を奪われてしまっているなら、それは頭の中の声と自分とを同一視していることを意味する。」
When you recognize that there is a voice in your head that pretends to be you and never stops speaking, you are awakening out of your unconscious identification with the stream of thinking. (P29)
「『まるで私自身であるかのように振る舞う、頭の中の声があって、話すのを少しも止めない』ということに、あなたが気づくなら、思考の流れを無意識のうちに自分と同一視することから、目覚めようとしていのだ。
「頭の中の声と自分とを同一視している」とも言えるし、頭の中の声が「私」という観念、ないしエゴを作っているともいえる。頭の中の声(思念)と自分を同一視しながら、頭の中の声は自分のコントロール下ににない。次から次へと連続する声(思念)は、私自身にコントロールできない無意識領域からやってくる。だからこそ、思考の発生から消滅までを見きわめることができれば、それは「私」を客観的に見る視点を得ることにつながる。
◆心になぜ様々な思いが生じてくるのだろうか。とてもシンプルな問いだが、その意味はかぎりなく深い。人は、生きているかぎり様々なことを思う。それは、自分の思いであり、自分の自由意志で様々なことを思念しているように感じられる。しかし一方で思念は、かぎりなく自分コントロールを超えているようにも感じられる。自分でも気づかぬうちに思いがどんどん展開していくし、数秒前に考えていた内容を忘れている場合もある。自分が今、なぜこんなことを考え始めたのか分からない場合も多い。私たちは、ほとんど無自覚的に無数の思いを繰り返しながら人生の大半をすごす。思いに振り回されながら人生を送っていると言ってもよい。
そんな思考の動きを客観視することが少しでもできるようになるなら、それは思考の連続によってなりたつ「自己」という観念を客観視することをも意味し、「自己」とは少し違う視点をもつことにもつながる。
When each thought absorbs your attention completely, it means you identify with the voice in your head. (P29)
「もし、ひとつひとつの思いに、完全に注意を奪われてしまっているなら、それは頭の中の声と自分とを同一視していることを意味する。」
When you recognize that there is a voice in your head that pretends to be you and never stops speaking, you are awakening out of your unconscious identification with the stream of thinking. (P29)
「『まるで私自身であるかのように振る舞う、頭の中の声があって、話すのを少しも止めない』ということに、あなたが気づくなら、思考の流れを無意識のうちに自分と同一視することから、目覚めようとしていのだ。
「頭の中の声と自分とを同一視している」とも言えるし、頭の中の声が「私」という観念、ないしエゴを作っているともいえる。頭の中の声(思念)と自分を同一視しながら、頭の中の声は自分のコントロール下ににない。次から次へと連続する声(思念)は、私自身にコントロールできない無意識領域からやってくる。だからこそ、思考の発生から消滅までを見きわめることができれば、それは「私」を客観的に見る視点を得ることにつながる。
◆心になぜ様々な思いが生じてくるのだろうか。とてもシンプルな問いだが、その意味はかぎりなく深い。人は、生きているかぎり様々なことを思う。それは、自分の思いであり、自分の自由意志で様々なことを思念しているように感じられる。しかし一方で思念は、かぎりなく自分コントロールを超えているようにも感じられる。自分でも気づかぬうちに思いがどんどん展開していくし、数秒前に考えていた内容を忘れている場合もある。自分が今、なぜこんなことを考え始めたのか分からない場合も多い。私たちは、ほとんど無自覚的に無数の思いを繰り返しながら人生の大半をすごす。思いに振り回されながら人生を送っていると言ってもよい。
そんな思考の動きを客観視することが少しでもできるようになるなら、それは思考の連続によってなりたつ「自己」という観念を客観視することをも意味し、「自己」とは少し違う視点をもつことにもつながる。