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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「自己」を超える視点

2025年03月20日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

When each thought absorbs your attention completely, it means you identify with the voice in your head. (P29)

「もし、ひとつひとつの思いに、完全に注意を奪われてしまっているなら、それは頭の中の声と自分とを同一視していることを意味する。」

When you recognize that there is a voice in your head that pretends to be you and never stops speaking, you are awakening out of your unconscious identification with the stream of thinking. (P29)

「『まるで私自身であるかのように振る舞う、頭の中の声があって、話すのを少しも止めない』ということに、あなたが気づくなら、思考の流れを無意識のうちに自分と同一視することから、目覚めようとしていのだ。

「頭の中の声と自分とを同一視している」とも言えるし、頭の中の声が「私」という観念、ないしエゴを作っているともいえる。頭の中の声(思念)と自分を同一視しながら、頭の中の声は自分のコントロール下ににない。次から次へと連続する声(思念)は、私自身にコントロールできない無意識領域からやってくる。だからこそ、思考の発生から消滅までを見きわめることができれば、それは「私」を客観的に見る視点を得ることにつながる。

◆心になぜ様々な思いが生じてくるのだろうか。とてもシンプルな問いだが、その意味はかぎりなく深い。人は、生きているかぎり様々なことを思う。それは、自分の思いであり、自分の自由意志で様々なことを思念しているように感じられる。しかし一方で思念は、かぎりなく自分コントロールを超えているようにも感じられる。自分でも気づかぬうちに思いがどんどん展開していくし、数秒前に考えていた内容を忘れている場合もある。自分が今、なぜこんなことを考え始めたのか分からない場合も多い。私たちは、ほとんど無自覚的に無数の思いを繰り返しながら人生の大半をすごす。思いに振り回されながら人生を送っていると言ってもよい。

そんな思考の動きを客観視することが少しでもできるようになるなら、それは思考の連続によってなりたつ「自己」という観念を客観視することをも意味し、「自己」とは少し違う視点をもつことにもつながる。



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アーノルド・ミンデル『昏睡状態の人と対話する』を再読

2025年03月19日 | 読書日誌
アーノルド・ミンデルの『昏睡状態の人と対話する』を再読した。再読と言っても読んだのは2003年、22年も前だ。再読して『臨死体験研究読本』の改訂版を書くにあたっても重要な本であることを確認した。

Coma: key to awakening. Boston: Shambhala.(1989). (翻訳書『昏睡状態の人と対話する』2002年)は、ミンデルの活動の中期から後期に属する著作である。彼はこの著作のなかで次のように言う。
「過去二十年間、死の過程にある人とのワークは、私の日々の心理療法の比較的多くを占めていたが、最近まで臨死体験について書くことを控えてきた。正直にいうと、ここで提示されるワークのあまりの特異さのために、私のさまざまな体験と死のプロセスを関連付けることをためらってきた。」

さらに「つい最近まで、人生の終末期におけるプロセスに、私は、あまりに衝撃を受け、驚き、感動し、物も言えぬほどびっくりしていたために、疑心に満ちた反応を受けることを恐れ、そういった体験を記することができずにいた」とも言う。

しかし、この本で示されるような昏睡状態の人々とのワークや臨死状態の人々とのワークにおける一連の出来事によって臨死について本格的に調査、研究をせざるをえなくなったという。

心理療法家としての彼の中心的な関心は、「人間に備わったプロセスにしたがうこと」「私自身や他の他の人々が自分自身を実現するのを援助すること」であった。そのためのワークに日々取り組む中で彼は、さまざな宗教が死後の生に属すると考えてきた「永遠の体験」が、「間違いなくこの生で経験することができる」と考えるようになったという。

彼は、アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学の大学院で理論物理学を学び、追ってスイスのチューリッヒ工科大学で学んだ。それゆえ彼は物理学者として理論的には世界の相対性、つまり空間・時間等の概念の相対性を理解していた。しかしプロセスワークの実践によって、とくに昏睡や臨死の状態にある人々とのワークによって終末期のプロセスに深く関与するにつれ、時間空間概念の相対性や非局在性といった現代物理学の概念が、実践で得た知見と結びつくようになったという。
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苦しみという恩寵、ミンデルを通してその深い意味を確認した

2025年03月19日 | 読書日誌
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

Even within the seemingly most unacceptable and painful situation is a deeper good, and within every disaster is contained the seed of grace.(P70)

「一見もっとも受け入れがたく苦痛に満ちた状況の中でさえ、より深い意味の善が存在し、あらゆる災難の中にも恩寵の種が隠されている。」

以前、エックハルト・トールのこの本の印象に残った部分を抜き出し、感じたことを書くという作業をこのブログで続けていた。上もその一つである。今後、これを再開しようと思っている。自分の英語学習のためにも。

今、『臨死体験研究読本』の改訂版を書くためにアーノルド・ミンデルの本を読んでいると、上の同じ文章でも、以前とは少し違う受け止め方ができる。「どんなに苦しい状況のなかにも何らかの意味がある」という見方は、スピリチャルな世界ではよく知られた見方だ。改めてミンデルを読み返した上で、この言葉に接すると、これがより深く、そしてより希望をもってこの見方を受けとめることができる。

なぜか? それはミンデルの「プロセス指向心理学」が、プロセスワークないしドリームボディワークという方法をもっているからだ。彼は、夢と同じように病や身体症状も、私たちのパーソナリティの成長を促すための無意識領域からのメッセージととらえた。夢と病は反映しあい、同じメッセージを送って、私たちに本来備わっているプロセスを展開すように迫ってくる。

それを受け止めて、その深い流れをせき止めず、プロセスが展開するような姿勢をとれれば、古く小さな「自己」は死に、より大きな自己へと私たちは変貌しうる。それを成長という。ミンデルは、夢や身体症状だけではなく、私たちが人生で遭遇するさまざまな困難も、そのようなメッセージと受け止めることができるという。その意味を知り、そこに隠された本来のプロセスが充分に展開するように仕向ければ、困難は成長への契機となり、そして私たちが成長するということは、私たちの人生の意味なのだ。

トールが「より深い意味の善」というのはミンデルの視点からすれば、そういう意味だろう。つまり病を含め人生のさまざな困難は、私たちのアイデンティティの拡大という意味での精神的成長へのチャンスであり、それが善や恩寵の意味なのだ。私たちの生きる意味は、経験を通して人格的に成長することであり、病やさまざまな困難は、それを促すための、深い次元からのメッセージなのであろう。
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プロセス指向心理学の発展段階

2025年03月15日 | 読書日誌
アーノルド・ミンデルの「プロセス指向心理学」の発展段階を自分なりの視点からまとめておく。

まず第一期は、プロセスワークが誕生した1970年前半代である。ユング心理学の訓練を受けた分析家として、夢分析を研究していたミンデルは、夢のイメージが身体の症状や動きとして現れることを発見し、それを「ドリームボディ」という概念で表現した。そして、夢のイメージと身体症状を関連づけて無意識のメッセージを探る「ドリームボディ・ワーク」いう方法で実践を積み重ねていった。

第二期は1970年代後半〜1980年代である。この頃ミンデルは、ドリームボディが夢と身体に反映し合い共鳴し合うだけでなく、人間関係やグループのダイナミクスにも反映していることを見出した。そして対象を個人療法だけでなく夫婦、カップル、家族、グループにまで拡大し、その心理学を「プロセス指向心理学」と呼ぶようなった。また、初期の「ドリームボディ」の概念を深化させ、内面のプロセスが常に変化し続けるの状態である「ドリーミング」として捉えなおし、夢だけでなく日常の中にも無意識のプロセスが現れると考えるようになった。夢や無意識の内容が、絶えず流動し、意識との相互作用の中で変容していくプロセスが「ドリーミング」である。

第三期は1980年代後半から1990年代である。この頃ミンデルは個人の心理だけでなく、集団や社会全体のプロセスにも焦点を当て始め、対立や紛争を変容させる方法論「ワールドワーク」を展開した。特に、紛争や権力構造に注目し、対立するグループの間で意識を深め、対話を促す「ワールドワーク」を発展させた。また、「ディープ・デモクラシー」という概念を提唱し、表面的な政治的民主主義だけでなく、すべての意見や感情が尊重される状態を重視した。個々人だけでなく、集団の中に潜む無意識の力や対立の根源を掘り下げ、すべての声が尊重される深い民主主義のあり方を模索するアプローチである。

第四期は2000年代以降、最晩年に至るまでの時代である(2024没)。2000年代に入ると、もともと物理学を専門に学んだミンデルは、とくに量子力学の概念を大幅に取り入れ、さらにスピリチュアルな視点をより深く取り入れるようになった。彼の思想は、従来の心理学の枠組みを超えた統合的なアプローチへと発展した。とくに「永遠の身体」という概念は、彼の晩年の思想において重要な役割を担い、時間や物理的な制約を超えた意識の側面を指している。この概念は、彼のプロセス指向心理学の発展の中で、初期の「ドリームボディ」や中期の「ドリーミング」といった概念と密接に関連し、それらをさらに深めたものである。
通常の物理的な身体は、生物学的な制約を受け、時間とともに変化し、最終的には死を迎える。これに対して「永遠の身体」は、そのような制約を超え、時間の流れの中で変わらず存在し続ける。それは、過去・現在・未来のあらゆる時間軸を超えて存在する自己の一部であり、超時間な性質を持つという。ミンデルは、量子物理学の非局在性の考え方を意識に適用し、意識が時間・空間に限定されずに広がる可能性を示唆したのである。
深い瞑想状態や変性意識の中で、個人が時間や空間を超えた感覚を持つことも、この「永遠の身体」と関係している。とくに臨死体験では、多くの人が「光に満ちた存在」や「時間のない状態」を体験すると報告している。ミンデルは、このような意識の状態が「永遠の身体」の一部であると考えた。
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20年前に出版した本の改訂版の出版は可能か?その病は私への大切なメッセージだった

2025年03月14日 | 読書日誌
20年以上前に出版した本の改訂版の出版は可能か?

『その病は私への大切なメッセージだった ミンデルとドリームボディ』


このユーチューブ動画で語ったことをかんたんにまとめたい。詳しくは直接動画を見ていただきたい。

私は、昨年の年末にちょっとした病で倒れた。そのちょっと前からしきりににプロセス指向心理学の創始者であるミンデルの本を読み直したいと思うようになっていた。20年ほど前にミンデルの本を夢中で読んでいた時期があったが、その後すっかり読まなくなっていたのだ。それどころか、20年前には強かった精神世界の探求という自分の本来の関心もすっかり忘れていた。そんな時、病気で2週間ほど苦しんだのだ。おそらくその体験もあって、ミンデルの本を読み返したいという気持ちがますます強くなり、病から回復した後に、何冊かを再読した。

アーノルド・ミンデルの「ドリームボデイ」という言葉は、夢だけではなく様々な身体症状も宇宙(別次元)からの大切なメッセージという立場から、プロセス指向心理学を提唱した人物だ。年末の病気や、その直後に臨死なき「臨死体験」についてのYouTube動画を投稿したことや、前後してミンデルの『身体症状に〈宇宙の声〉を聴く』という本を読み始めたことなど、いくつかの偶然が重なり、今回体調を崩したことが、私にとって重要な意味があると今は思うに至っている。それは、精神世界の探求への本格的な復帰である。精神世界への探求の情熱がよみがえったのだ。病気が私にそれを思い出させたのだと思っている。「お前、大切なことを忘れているぞ」と呼びかけてくれたのだ。お前にとって本来大切なそれを無視するのではない、という呼びかけが今回の病気の意味だったのだと思っている。

この気付きがあって後、私の人生に少し新たな展開があるかもしれない。私は2002年、今から20数年前に『臨死体験研究読本』という本を出版した。精神世界への関心がとくに強かったころだが、その後精神世界への関心が弱まってた。ところが数年前ある出版社がこの本の改訂版の出版を提案してきたのだ。私は喜んで承諾し、原稿の書き直しを始めたが、途中で進まなくなり改訂版の出版はほぼ諦めていた。しかし今回の病をきっかけにしてミンデルを再読し、新しい着想を得た。臨死体験とミンデルのドリーミングという二つの世界を重ね合わせることで、本の内容に深みが増すと気づいたのでる。私は今、その原稿の執筆しており、3月末には原稿を書き上げ出版社に送るつもりでいる。あとは出版社の判断にまかせるだけだ。

ともあれ年末の病から始まったこの流れは、私にとってミンデルのいう「ドリーミング」の一連のプロセスの展開のように思えてならない。
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