しばらく間隔があいたが、『意識のスペクトル 1
』の章ごとに要約
K・ウィルバー『意識のスペクトル[1]意識の変化』 第2章 二つの〈知〉の様式
外界の認識者兼探求者としてのわれわれの内実の意識は、究極的に理解の対象とはなりえず、知られざるもの、示さざるもの、把握されざるものとしてとどまる。‥‥ナイフがナイフ自身を切れないように、世界は自ら対象とすることはできない。すなわち、世界を知識の対象として知ろうとする試みは、いかんともしがたい矛盾を抱えている。‥‥世界を主体と客体――真実と虚偽、善と悪など――に分断するこの種の二元論的知識というものが、西洋の哲学、神学、科学の試金石そのものなのだ。(p26・28)
二元論的アプローチがこれまで有害であったおもな理由一つは、二元論の誤謬が思考の根を形成し、そのために思考によってその根を引き抜くことがほとんどできなくなる、ということである。この二元論を極限まで推し進め、その矛盾をできる方法は、二元論の信念を曲げずに究極の結論にまで推し進めてみることである。その意味で科学は二元論を根こそぎにする厳密なアプローチを提供しうる可能性を秘めている。徹底した実験主義と精巧な機器の使用が、二元論を極限にまで推し進めることを可能にする。(p30)
1600年ごろ、ケプラーとガリレオが、自然の法則が測定によって発見できるという原理を考案し、ヨーロッパ人は、この測定の観念、すなわち量の観念に夢中になった。究極的実在は測定できるものになった。すべての知識は客観的次元、すなわち、数、位置、動きといった「一義的な」客観的性質に還元できるものとされた。一方、主観的な側面、すなわち情動、感覚、直観といった「二義的な」性質は、つきつめれば非実在であるとして、完全に抹消されるべきものとみなされた。‥‥主体と客体という二元論に関する疑問には、新しい科学は応えず、単に回避されたのである。(p33)
科学は測定できないもの、客観的でないもの、証明できないものをにべもなく拒絶した。にもかかわらず、究極の結論に向かってわき目もふらず論理を推し進め、その究極的なところに到達した。(p35)
何かを測るにはある種の器具が必要である。ところが電子はきわめて小さいので、たとえば一個の光子としての「光」をでさえ、それによって電子を測ろうとすると、その測定行為によって電子の位置を変えてしまう。人は影響を与えることなく二元論的に世界をいじくりまわす ことができるという仮定が、支持できないことが判明した。ある種の神秘的な形で、主体と客体は緊密に一体化されていた。世界の「究極的実在」を正確につきとめることができないことを数学的に表したのが、ハイゼンベルクの不確定性原理だった。それは実在に関する古典的、純二元論的アプローチの終焉を告げるものだった。量子革命が革命的だったのは、それが古典物理学の試金石そのもの、その全構造がその上に立つ土台を攻撃したからである。その土台とは、主体と客体の二元論である。(p37~39)
要するに、世界が主体と客体、見る状態と見られる状態に分断されるとき、必ず何かが取り残されるのだ。この状態にあっては、世界は「つねに自身の一部を把握しそこねる」。どんな観測系も自らの観測する姿を観測することはできない。見るものは自ら見ているところを見ることはできない。あらゆる目は盲点をもっている。そのような二元論的な試みの行き着く所で、われわれが不確定性や不完全性しか見いだせないのは、まさにこういう理由からなのである。(p41)
K・ウィルバー『意識のスペクトル[1]意識の変化』 第2章 二つの〈知〉の様式
外界の認識者兼探求者としてのわれわれの内実の意識は、究極的に理解の対象とはなりえず、知られざるもの、示さざるもの、把握されざるものとしてとどまる。‥‥ナイフがナイフ自身を切れないように、世界は自ら対象とすることはできない。すなわち、世界を知識の対象として知ろうとする試みは、いかんともしがたい矛盾を抱えている。‥‥世界を主体と客体――真実と虚偽、善と悪など――に分断するこの種の二元論的知識というものが、西洋の哲学、神学、科学の試金石そのものなのだ。(p26・28)
二元論的アプローチがこれまで有害であったおもな理由一つは、二元論の誤謬が思考の根を形成し、そのために思考によってその根を引き抜くことがほとんどできなくなる、ということである。この二元論を極限まで推し進め、その矛盾をできる方法は、二元論の信念を曲げずに究極の結論にまで推し進めてみることである。その意味で科学は二元論を根こそぎにする厳密なアプローチを提供しうる可能性を秘めている。徹底した実験主義と精巧な機器の使用が、二元論を極限にまで推し進めることを可能にする。(p30)
1600年ごろ、ケプラーとガリレオが、自然の法則が測定によって発見できるという原理を考案し、ヨーロッパ人は、この測定の観念、すなわち量の観念に夢中になった。究極的実在は測定できるものになった。すべての知識は客観的次元、すなわち、数、位置、動きといった「一義的な」客観的性質に還元できるものとされた。一方、主観的な側面、すなわち情動、感覚、直観といった「二義的な」性質は、つきつめれば非実在であるとして、完全に抹消されるべきものとみなされた。‥‥主体と客体という二元論に関する疑問には、新しい科学は応えず、単に回避されたのである。(p33)
科学は測定できないもの、客観的でないもの、証明できないものをにべもなく拒絶した。にもかかわらず、究極の結論に向かってわき目もふらず論理を推し進め、その究極的なところに到達した。(p35)
何かを測るにはある種の器具が必要である。ところが電子はきわめて小さいので、たとえば一個の光子としての「光」をでさえ、それによって電子を測ろうとすると、その測定行為によって電子の位置を変えてしまう。人は影響を与えることなく二元論的に世界をいじくりまわす ことができるという仮定が、支持できないことが判明した。ある種の神秘的な形で、主体と客体は緊密に一体化されていた。世界の「究極的実在」を正確につきとめることができないことを数学的に表したのが、ハイゼンベルクの不確定性原理だった。それは実在に関する古典的、純二元論的アプローチの終焉を告げるものだった。量子革命が革命的だったのは、それが古典物理学の試金石そのもの、その全構造がその上に立つ土台を攻撃したからである。その土台とは、主体と客体の二元論である。(p37~39)
要するに、世界が主体と客体、見る状態と見られる状態に分断されるとき、必ず何かが取り残されるのだ。この状態にあっては、世界は「つねに自身の一部を把握しそこねる」。どんな観測系も自らの観測する姿を観測することはできない。見るものは自ら見ているところを見ることはできない。あらゆる目は盲点をもっている。そのような二元論的な試みの行き着く所で、われわれが不確定性や不完全性しか見いだせないのは、まさにこういう理由からなのである。(p41)