瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

抵抗感を感じる必要はない

2009年12月05日 | 瞑想日記
今週も、平日は瞑想の時間をとらなかった。今日は、起床後に50分。

前回「何かひとつの対象に集中しようとすることで、自然に湧きあがる様々な思考や感情を抑圧してしまうことへの抵抗感がかすかにある」と書いた。それは、私の集中力が弱く、「集中しよう、しよう」と力むからそう感じていたのだと思う。集中力が充分について力む必要がなくなれば、そうした抵抗感も消えるはずである。

力みなく集中するときは集中する。しかし必要とあれば心を、気づきの方向へ自在にシフトすることもできる。そんな感じがあるだろうと予感した。

サマタ瞑想は、集中の極みで主観と客観が融合するサマーディを目指し、それのみをゴールとする。ヴィパッサナー瞑想は、集中とともに観察を重要なファクターとする。特定対象に集中するだけでなく、心の内外に生起する一切の現象を、公平に、無差別に、あるがままに気づくことを重視する。もちろん、瞑想しようとする動機に隠されたエゴも観察され、あるがままに気づかれていく。

集中するときは集中するが、心の一切の現象を、公平に、無差別に、あるがままに気づくことも随時、自在になされる。そんな状態になれば、集中への抵抗感を感じる必要はないであろう。

来週は、平日にもぜひたとえ10分でも瞑想の時間をもちたい。
コメント (2)
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