This is the football !長野市で活動していた吉田サッカークラブです。

活動期間1997年4月~2021年3月です。活動時はチーム公式ブログ、休止後はサッカー関係の随想をつづっています。

天皇杯、準決勝観戦

2006年12月31日 | サッカー
行ってきました。国立競技場。
確かトットナムと日本代表がキリンカップで戦った1991年キリンカップの時にコクリツ行ったんだよな。

それにしても寒かった-!!
服装は長野積雪仕様+膝掛け等オプションで行ったんですけど、風が強くて震えながらの観戦でした。

キックオフ2時間前に到着したのですが浦和側自由席はもう満員でしたので、鹿島のサポーターに変更して鹿島側のゴール裏に座りました。

前座(と呼んだら失礼ですが)の全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会の決勝の表彰式を見ることができました。
U-15だから中学生ですよね。
本当は息子に試合見せたかったんですけど、11時からのキックオフだったので間に合いませんでした。

負けた方のFC東京のサポーターのすぐ近くに座ったので、最後の挨拶に目の前に来たときの応援は感動しました。
父兄の方達もたくさんいるのでしょうが、これだけの応援受けたらがんばらなきゃね、という感じでした。
でもやっぱり中学生。プロとは違い、負けたショックでろくにあいさつも返せず引き上げていきました。

東部中も試合の時はこの10分の1位は応援してやらなきゃ。



さあ、いよいよ準決勝に向かって盛り上がっていきます。

鹿島はジーコ、ビスマルク時代からの伝統でしょうか、リズム用にドラム等が鳴らされにわかサポの僕たちも応援にのりやすかったです。


”やなーぎさーわ!!ドッドッドッドド!”やってきましたよ!

けっこう感激。

次の日の新聞などでは鹿島の決定力不足とも書いてありましたが、現場で見ていた感じですと、ペナルティエリア周辺で鹿島の選手に前を向かせないような地道なねばり強い浦和の守備勝ちという感じですか。
仕方なしにサイドを替えている間にボールを奪い取ってカウンター、もしくは鹿島に難しくシュートを打たせてゴールキックでリセット、というパターンが多かったように思います。
そしてカウンターから鈴木ケイタを経由してポンテ、小野、相馬に渡して、後は頼んだ!カウンターです。

1点目は鹿島がバックラインからボランチに渡して、さあ攻撃だという場面でボールを奪われ、カウンター返しから最後小野に決められました。

2点目はまさにポンテ、小野の規格外プレーからの1点。

Jリーグ伝統のチーム同士の天皇杯準決勝を、これまた伝統の国立競技場で観戦でき、年末の一日サッカーを十二分に楽しませてもらいました。


クラブ、リーグの文化

2006年12月28日 | サッカー
当地では近在にいわゆる”クラブ”チームというものが存在しないので、サッカーはもとより、野球、ミニバスケット、など各種の少年少女の活動を見ても父兄の協力が無ければ活動が成り立たないのが当たり前のように思ってきましたが、いろんなブログ、HPを見ていると、父兄の当番が無いということを明言して、選手の勧誘をしている所も決して少なくありません。


人それぞれ置かれた環境が違うので、どっちがいいとか悪いとかでは無いのですが、より深く関わった方が自分が楽しい。というのは断言してしまいます。

子供なんて中学生になれば放っといたって離れていきますし、離れていってもらわないと困ります。

それまでの12年余りの間、いっしょに思い出作りに励んだ方が楽しいかな。


まあ僕の場合は自分の楽しみに息子が近寄ってくるようにといろいろ布石を打っておいた中でサッカーに来た!というのもありますけど...。



吉田少年サッカークラブでは父兄の方には練習当番、試合当番があります。

練習、試合に立ち会い、各種備品の持ち回り管理、子供たちの出席管理から怪我や病気の応急処置、コーチ、クラブ員への連絡事項の伝達等々。


クラブの運営は、6年生父兄、各学年クラス代表が中心になって行います。


クラブとしても参加しているリーグ戦等では会場の設営、本部運営などは当番が順番に回って来ますし、当然リーグの運営委員てのもあるわけで。



最近、リーグやチームを運営していくと言うことに関してまさにポンと膝を打つような話を読みました。

サッカー専門紙のエルゴラッソ。
長野では宅配しかなく(一部コンビニでは買えるらしい)ずっと購読しているのですが、それに高校選手権の東京代表 暁星高校 林監督のインタビューが載っていて、

高校生にとって一発勝負のトーナメントはいかがなものか?リーグ戦をやるべきでは...という趣旨のインタビューなんですが、自分が感銘をうけたのは下記のコメントです。


インタビュアー:「リーグ戦導入で、試合数は絶対的に増えますよね。運営側の負担増は大きいでしょう。



監督:「文句だけじゃだめなんだ。『何だ、このグラウンドは?』 『何だ、あの審判は?』そういうだけ。そうじゃない。

そうじゃないんだ。リーグってのは、審判を担当するやつがいて、グラウンドを確保するやつがいて、日程を考えるやつがいて、金の心配をするやつがいて、それで初めて成り立つんだ。何でもかんでも上から与えられて当然なんかじゃないんだ。みんなで支えなくちゃいけないんだ。これが下から作っていくリーグの文化なんだ。

違うかい?」



高校生だけではなく少年、中学、社会人チームでもそうですし、チームの運営にも同じ事が言えると思います。


僕は自分たちで支え、作り上げていくチーム、リーグが大好きです。

蹴り初めできるかな?!

2006年12月26日 | サッカー
長野運動公園元旦無料開放
平成19年1月1日(月)は、長野運動公園の各施設を無料開放します。

開放時間 9:30~15:00
開放する施設 総合体育館(柔道場・剣道場・卓球場を含む)、弓道場、総合市民プール、陸上競技場、テニスコート
※酒気を帯びての運動はご遠慮ください。

 運動用具は各自でご持参ください。陸上競技場、テニスコートは積雪および凍結のため使用できない場合があります。

問 体育課 
問 長野運動公園総合運動場

<広報ながの12月15日号より>

スキー命のみなさんには悪いけど今のところ雪が無いので元旦に何年かぶりに運動公園でサッカーできるかも?!

と期待していて去年、一昨年は年末寒波で一瞬のうちに雪化粧しちゃったんですよね。

2005年”冬が来た

2004年”一夜にして



おやじは繰り返す。

2006年12月22日 | サッカー
たまには僕の親父の事など。

いまだにおっさんになった僕の試合をちょくちょく見に来ては批評してくれます。
今シーズン最終戦となった南長野でのバルディオ戦にもあの寒さの中来ていて、帰ってからの一言。

”なんであれだけ押しまくってて、勝てんねん。最後の最後にやられおって。”
(親父は浪速のあきんどなので関西弁です。)

”すんませんでした。”

昔からどんなスポーツをやってもなかなかおやじには勝てず、常に最初の目標は親父を負かすことでしたね。

サッカーも野球も卓球も相撲も将棋も。

たぶんゴルフは一生勝てないまま勝ち逃げされるんだろうな。

僕が少年だった頃に高度経済成長まっただなかのバリバリのサラリーマンだったおやじにはあまり自分の部活を見られていた記憶は無いんですが、今になって聞くと陰に日向にいろいろとバックアップしていてくれたらしいです。

当時めずらしかったワンボックスカーが会社にあったのでそれを日曜日になると持ち出して遠征用の備品を運んでいたとか、
それに雨の試合で泥だらけになった子供達を詰め込んで銭湯に輸送したとか...。
ほとんど覚えてないんですけど。

クラスの中で自営業の家がほとんどを占めるという不思議な小学校でもあり、熱心で時間の取れる親父達は競って夕方から野球部のノッカーやバッティングピッチャーやってました。

当時はとってもマイナースポーツで、親次の世代に経験者なんている訳が無いサッカー部にはそういう親父はいなかったですけど。なんたって日本サッカー暗黒時代でしたから。

いずれにしてもこれからは息子に代わって、少年の時もちょくちょく来てましたけど孫のサッカーに見ごたえが出てくるので親父も楽しみなことでしょう。

ぼくも息子に来るな!と言われても行き続けるんだろうな。

幾つのなっても親は親、子は子です。

帰ってからが寒かった。

2006年12月11日 | サッカー
日曜日、週末のあの雨にもへこたれなかったすばらしいグランドで練習試合しました。
段取りしてもらった信州テンツのみなさんありがとうございました。
チーム力も拮抗していて25分×3本でトータル0-1でした。

この日僕は朝からなんとなく体がだるく、まあ前日の我が家忘年会で少し飲み過ぎたせいかなと思って、エムウェーブでスピードスケートのワールドカップを観戦し(これで集合時間に遅刻しました。すいません。)岡崎朋美選手の滑走を見てから練習試合に行ったのですが、家に帰ってからこの疲れ方と寒気は普通じゃないと思って調べてみたら案の定、熱が出てました。
といっても微熱でしたけど。

岩本テルを見ることも、功名が辻(終)を見ることもなく速攻で寝ました。

これから正月まで何かと体をいじめる機会もありますし、仕事も忙しいし、体をいたわらないとね。

雨ですね

2006年12月09日 | サッカー
ずっとウイークデイは晴れていて土曜日の雨。
明日練習試合できるかな?

今日はめずらしく会社で仕事してます。
”コーチって、普通(月~金のことだろう)の日はどこでサッカーしてるの?”
”普通の日は仕事だよ。”
とよくBの子供達に聞かれましたっけ。

前回の東京紀行の際にはアメ横で撃沈したのですが、総会の次の日にまたまた試験を受けに東京に行って今度は買ってきましたよ。
今度は何回か行ったことがある大宮のスポーツ店で、それもトレシューとスパイクと一足ずつ。しめて4千円也。

ラッキー。

交通費をわざわざ掛ければDEPOやタヤマの方が安いですが、試験のついでだもんね。どっちがついでかよくわかりませんが。
しかも試験に受かれば2回分の交通費も返ってくるし。(合格が確認されるまでは受験にかかる経費は全て本人立て替えなのです。)

というわけで明日の玉蹴りを楽しみに今日は仕事しよう。

転がるボール

2006年12月06日 | サッカー
先日は2006年度総会、お楽しみ会ご苦労様でした。

毎年総会の時期になるともう1年経ったのか、早いなあと感じます。
特に僕個人としては昨年の総会が吉田少年サッカーとしてのピークだったのでなおさらこの1年は早かったです。

今年一番感じたこと。子供が居ないとなんて気楽なんだ!!ってこと。
帰りだって酔っぱらった僕の身一つなら、どなたか父兄の車に拾ってもらえれば権堂だって吉田だって家だって連れてってもらえる。

ってね。

M田様、ありがとうございました。

初めてお楽しみ会の二次会に行っちゃいました。


お楽しみ会の席では、今年1年、息子の中学部活や、社会人チームの活動もありろくに顔も出していなかったにもかかわらず、父兄の皆さんや子供たちに”コーチ、コーチ”なんて呼ばれて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

これからもできるだけ時間を作って練習に行きますのでよろしくお願いします。

さらにこのブログ。

お世辞でも何人もの方に”更新、楽しみにしてますよ。”
等と言っていただき、照れるやらますますプレッシャーで更新しにくくなるやら。

僕の悪い癖ですがいいかっこしいなんですよね。

うーん、こんな文章じゃかっこわるいな。僕のスタイルじゃない。
学生の頃、友人に面と向かって言われてショック受けたんですけど。
なんでそんなかっこつけてんのってね。


でも今回、お楽しみ会で思いました。
この1年で、名前のわからない父兄、子供たちが増えたなあ。
去年は会長でもあったのでとにかく顔と名前のわからない父兄、子供ゼロをめざしてひとりの漏れもなく網羅していたつもりだったんですが。

僕を知らない人が増えれば、このブログももっと私的に展開していってもいいんじゃないか。

で私的なことですが12/29日に会社の仕事納めをスルーして天皇杯準決勝@国立競技場、息子と行ってきます。
えーっと、30人も引率してくれと言われればちょっとお断りしますが、数人なら同行オッケーですよ。もしご希望の方があればこっそり教えて下さい。
チケット、交通費は自前でご用意下さい。

決勝にしようかとも思ったんですがやっぱり元旦は朝から飲んだくれなきゃいかんし、もし雪が積もってなければ東和田運動公園の芝生で初蹴りしなきゃいかんと思い直し、暮れも押し詰まった頃の準決勝にしました。

今もたいがい酔っぱらって執筆しているんですが、こんな調子で与太ブログ、これからも続けたいと思います。


ボールを蹴らなきゃゲームは進んでいかないですしね。




あー、また最後かっこつけてしまった。